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My Back Pages(Bob Dylan)

ボブ・ディランのうただけど、キース・ジャレットの演奏のこの曲がたまらなく好きだ。
ウッドベースのソロから始まり、ピアノが入った瞬間にいつも震える。
いろんな場所のジャズ喫茶でリクエストして、大音量で聴いてきた。
やはり、ウッドベースのガリガリした音がたまらないし、キース・ジャレットのピアノの律儀な音も好きだ。

この曲はボブ・ディランの代表曲としてのイメージはないけれど、歌詞も素晴らしい。
恐ろしく難解な歌詞で、それが逆にシンプルなメロディーと呼応している。
「時代は変わる」とは別な意味で、時の流れを思想的に捉えている。

僕は自分の出囃子として戸川純「パンク蛹化の女」をずっと使っているけれど、それ以外で使うとしたら、この曲かAKB48・チーム8「47の素敵な街へ」のどちらかだと思っている。


縁日(吉原芳広)

 縁日が全滅しちゃった

この出だしのワンフレーズだけで持って行かれる。
彼はそもそもコピーライティングの才能があるうたうたいだが、それだけではない。
淡々とうたう中に、<縁日>のために静かに墓穴を掘り、墓標を立てているような深い無償の愛を感じる。

3番の歌詞では、「縁日が全滅しちゃった/駄菓子屋のおばあちゃんも全滅しちゃった」とある。
「なくなった/いなくなった」のではなく、「全滅した」という言葉の簡潔さと端的さで、短いフレーズの中にすべての状況と想いを同時に込めている。
歌詞を受けとめる時、決してこんな風に分析的に向き合う必要はないが、直感的にいいうたと感じたうたが何故よくて、駄目だと感じたうたが何故駄目かというヒントはこういう部分に隠れている。
これは単にセンスとか技術とかの問題ではなく、作り手が、そして受け手が、真摯に対峙しているかどうかという姿勢の問題だ。
勿論、うたに対して。

もっと俯瞰でこのうたを観ると、これは都市生活者の望郷のうたでもある。
<遠きにありて思ふもの>としてのふるさとに対してではなく、ここにいながらにして日々少しずつ失われていく風景に対する望郷のうたである。
かつて地方から東京に出て来た者たちは、この都市を<コンクリートジャングル>や<東京砂漠>と安直に呼んだ。
けれど、この東京という街は、様々な機微を抱いた風景の集合体であり、彼らはそれを見て見ぬ振りをしたのか、それとも見分ける力がなかったのか、薄っぺらなレッテルを貼って、この景色を塗りつぶすことで満足していた。
それは彼らにとって、ある種の自己防衛でもあったのだろうと思う。
僕には、このうたが彼らの手によって塗りつぶされてしまった都市の回復のうたにも聴こえる。
恐らく作り手は意識していないだろうが。

このうたは昨年(2013年)末に1年間で印象に残ったうたとして取り上げた。
その後も何度もライヴで聴き、毎回その想いを新たにしてきた。
稀有な名曲である。


風待ち(佐賀優子)

今は無き阿佐ヶ谷の「サンハウス」というお好み焼き屋で彼女のうたを初めて聴いた時、山崩しで砂山の砂を両手で目一杯掻き取られたように、自分の中の何かをゴソッと持って行かれたような気分にさせられた。
音数の少ないピアノ、情念のこもった透き通る声、音楽になろうとする真っ直ぐな意志を持った言葉のひとつひとつ、それを放つ時の彼女の美しさ。
これらがたまたまその時だけその場所に降り注いだのだとしたら、僕は素晴らしく運のいい場所に居合わせたのだと思った。
それが彼女との出会いで、それ以降何度も彼女のライヴを観ていく中で、あれは偶然の産物ではなく、彼女が毎回ピアノの前から放っているものなのだと気付かされた。
そう、彼女は本物だった。

僕と同じく「逆境ナイン」を愛読し、様々な音楽に造詣があり(ヌエバ・カンシオンから即興音楽まで)、echoを吸い、酒をこよなく愛する女とは思えない、美しく繊細な声でナイーヴな歌詞をうたう。
音楽に対する絶望的な程の愛をうたう「あこがれ」といううたを聴いて僕はすっかりシビれたのだが、それは彼女自身と一体化したようなうた。
この「風待ち」といううたは、あらゆる場面で僕の頭を、僕の耳元を、僕の足元を、僕の唇の先をよぎる。
公衆便所で小便をしている時も、踏み切りが開くのを待っている時も、窓からカーテンを揺らして風が吹き込んで来る時も、ビルとビルの間で空を見上げる時も。

 ああ なんて泣き出しそうだ

うたの最後を彩るこの言葉が沁み渡る。
歌詞全体が素晴らしいけれど、このひと言を言われた時にすべてがすっと腑に落ちる。
頭で理解しようとしなくても、体が勝手にこのうたをちゃんと理解する。
そんな感覚になるうた。
乾いている喉に水が注がれるように。

すごく細かい表現をひとつ挙げると、途中の「ブランコの揺れる音」という歌詞は、ちゃんと「ブラーンコの 揺れーるおとー」とうたわれている。
しかも、「ブラーンコの」の「ブ」から「の」に向けて音は下がり、「揺れー」で音は一気に上昇し、「るお」と下がり、最後の「と」で再び上がる。
彼女がそれを何処まで意識しているのかは分からないけれど、これは明らかにブランコが揺れる感覚のままうたわれている。
勿論聴いている側もブランコに揺られているような気持ちになる
この部分を口遊むのがあまりにも気持ちよくて何度も口遊んでいるうちに、「こういうことなのか」と後から発見した。
偶然にせよ、意識的にせよ、これは普段から言葉を大切にしているからこそ生み出せた素晴らしい表現だと思う。

それにしても、なんとも野暮な歌詞の解説。
そう言えば、高知・劇場 歌小屋の2階で彼女がうたう「平和に生きる権利」に僕がギターの伴奏をした時、彼女と僕の二人組みを彼女は「ヤボーズ(野暮's)」と紹介していた。
少なくとも僕に関しては当たっている。

少女の持つナイーヴさと大人の女性の持つしたたかさが、彼女の情念を通して今後どんなバランスで表現されていくのか、どんな形に昇華されていくのか、それともある瞬間に無残にも失われてしまうのか、期待と不安をともに抱きながら彼女のうたを聴き続けたいと思っている。


Face the wall(Emilie Autumn)

久し振りに衝撃を受けたミュージシャンの曲。
エレクトリック・ヴァイオリンのソロ演奏で、これだけ観客を(そして僕を!)魅了する技量と楽曲とパフォーマンスを観たことがない。
マナーの善し悪しの問題はあるにしても、ヴァイオリン・ソロの演奏中に観客の多くが悲鳴に近い歓声を上げるなんて、ちょっと考えられない。
でも、僕がライヴ会場にいたとしても、同じ様な叫び声を上げてしまうと思う。
彼女のパフォーマンスは、それくらいエキサイティングで圧倒的だ。

映像を検索している時に偶然知ったエミリー・オータム。
ヴァイオリニストであり、シンガーであり、自らゴスロリ・ファッションを身に纏いつつ、奇妙な女性アーティストたちを率いるバンド・リーダーでもある彼女。
美貌を兼ね備え、挑発的な姿勢と目付きで、歪んだ音のエレクトリック・ヴァイオリンで激しいトレモロを弾いていたかと思えば、弓をゆっくりと引き絞りながら観客を煽るようなシャウトを放ち、演奏が終わった途端、どや顔でステージから踵を返すSっ気たっぷりの演出。
かと思えば、トークも上手く、茶目っ気たっぷりのファンサービスも行う親しみやすさも見せる。
こういうのをよく<ギャップ>と呼ぶけれど、僕は動的な意味を込めて<振幅>と呼びたい。
僕は彼女のその<振幅>にメロメロにされてしまった一人だ。

「Face the wall」はアルバム「Laced/Unlaced」に収録されている曲。
アルバムにレコーディングされている音も素晴らしいけれど、やはり彼女の素晴らしさはライヴ・パフォーマンスにあると思う。
是非両方を聴き比べてもらいたい。
真のライヴ・パフォーマーとは、ミスノートがないことや楽曲を正確に再現するアーティストではなく、毎回のライヴにその時の最高のパッションを込められるアーティストだと思うのだが、そういう意味でも彼女は正に最高のライヴ・パフォーマーである。
その彼女のライヴ・パフォーマーとしての魅力が最も凝縮されているのが、この「Face the wall」のライヴ演奏。
来日しないなら、ヨーロッパにでもアメリカにでも観に行く価値が充分にあると思う。

最後にひとつ変態的な意見を付け加えると、出来ることなら、ステージ上で彼女に踏みつけられながら「Face the wall」を聴きたいものだ。


Blind Willie McTell(Bob Dylan)

ボブ・ディランのことは、今迄敢えて書かなかった訳ではない。
どれか一曲に絞って書くのはとても難しいし、実際に自分でもどのうたが一番好きなのか決め難かった。

YOU-TUBEの存在によって、彼のほとんどの作品を簡単に聴けるようになり、様々な作品の様々なヴァージョンを聴き比べることが出来るようになった(ボブ・ディランに限ったことではないが)。
スタジオ・レコーディンされた作品以上に、<ローリング・サンダー・レビュー>や<ラスト・ワルツ>などでの数々の素晴らしいライヴ・パフォーマンスを観るとそれぞれに凄いのだが、僕の中でとりあえずこの一曲だけはどうしても後世に残してほしいと思うのは「ブラインド・ウィリー・マクテル」だと分かった。

「誰もブラインド・ウィリー・マクテルみたいにブルースをうたえる奴はいない」
各節の最後のこのフレーズに辿り着くために、このうたは何かが決定的に失われたアメリカの薄暗がりを旅しているように聴こえる。
YOU-TUBEの映像や歌詞の影響もあるだろうが、僕はこのうたを聴く度に、遠くで雷鳴が鳴り、雨雲が近づく夕闇の中、さびれた街の川沿いの小汚いホテルの窓辺に独りでいるような気分にさせられる。
或いは、観終わったとたんに燃やされる絵を観ているみたいな気分に。

ピアノとギターだけのシンプルな伴奏。
ボブ・ディランのうたには、もっと複雑で内容が豊かな歌詞のうたや恐るべき情熱に満ちたライヴもあるのだが、それらのすべての底の暗渠をこのうたが流れているような気さえする。

今もこのうたを聴きながらこれを書いている。
僕は今、アメリカのどこか知らない街の深い夕闇の中にいる。


イトーヨーカ堂ブルース(The End)

時々無性にライヴを観たくなるうたうたいがいる。
彼のうたを聴くためだけに何度長野の「ネオンホール」に足を運んだことか。
彼のうた、彼の存在にはそれだけの魅力があるということだ。

彼のうたが衝撃的なのは、「今時こんなフォーク・ブルースを継承しているうたうたいがいるのか」ということ、そのフォーク・ブルースの歌詞が伝統の中に埋没することなく、彼の個性で現代的に創造されているということ、ギターテクニックの確かさ、古いをライヴの中でマイナーチェンジさせて蘇らせる力、そして、それらすべてを包括している飄々とした表情でユーモアを交える彼自身のキャラクター。
何度彼のライヴを聴いても、期待を裏切られたことは一度もない。

彼には名曲の数々があるが、やはり<この一曲>ということになれば、ベタに「イトーヨーカ堂ブルース」を挙げない訳にはいかない。

恐らく長野市の権堂にあるイトーヨーカ堂が舞台になっているのだろうけれど、彼の歌詞の上手さのひとつは、<具体性>と<普遍性>の調合の仕方の巧みさにあるのだと思う。
彼が表現する<イトーヨーカ堂>は、たぶんある特定の<イトーヨーカ堂>なのだが、それを聴く側は、それぞれの頭に中にそれぞれの<イトーヨーカ堂>をイメージし、けれど、それがやはり共通項で結ばれている。
固有名詞の持つ<具体性>の力と、そこから広がるイメージの<普遍性>を空中分解させることなく繋ぎ合わせる構成の妙は、このうたに限らず彼の歌詞の大きな特徴だ。

イトーヨーカ堂を舞台とした、ありふれた時間を描写しているのにも関わらず、そこにじんわりと湧き水のように溢れ出す想いを描いているこのうたを初めて聴いてから、僕はThe Endだけでなく、イトーヨーカ堂そのものまで好きになった。
イトーヨーカ堂は是非このうたをコマーシャルソングに起用すべきだ。

ちなみに、彼は元々関東出身なのだが、今や長野に在住して、長野以外の場所ではほとんどうたわない。
「どうして東京でうたわないのか」と尋ねたら、自分のうたに価値があると思ったら長野に聴きに来ればいいというような内容(正確な言葉は忘れた)のことを言っていた。
僕は「なるほど」と思った。
それは傲慢でもなんでもなく、東京にいたらなんでも手に入る、うたうたいはみんな東京を目指すと思ったら大間違いだということだ。
後に大久保和花や矢野絢子などと知り合い、地元を離れずに活動を続ける実力のあるうたうたいたちと出会ううちに、そういう姿勢こそ実は自然なのだとさえ思うようになってきた。
僕自身も東京にこだわっている訳ではなく、あくまでも様々なうたうたいと出会える可能性の一番高い場所として、もしくはお客さんの絶対数の多い(僕たちのようなマイノリティーのうたを認めてくれる人の数の絶対値が大きい)場所として、東京でうたっているだけだ。
そして、それだけではもの足りず、旅に出て新たなうたうたいとの出会いを求めている。

「イトーヨーカ堂ブルース」は、そういう意味も含めて、日本のフォーク・ブルースの代表的名作だと思う。


「装甲車踏みつけて・・・」(岸上大作)

 
装甲車踏みつけて越す足裏の清しき論理に息つめている

これは岸上大作の歌集「意志表示」の中の一首である。
つい最近何故かふと手に取った石川啄木の「一握の砂・悲しき玩具」を読んでいるうちに、無性に岸上大作のこの歌について書きたくなった。
ちなみに、あまりにも有名な代表作以外の啄木の作品をじっくり読むのは初めてなのだが、読みながら遠藤ミチロウの「うんざりするほどロマンチックだぜ」という言葉を思い出した。彼の作品は当時としては新しかったかもしれないし、確かに秀作も幾つかあるが、ほとんどは<自意識過剰>という砂糖を入れ過ぎたアメリカンコーヒーみたいだ。

閑話休題。
僕は短歌に関しては門外漢であるが、現代歌人で好きな歌人は岸上大作と寺山修司の二人だ。
寺山修司の短歌には独特の匂いがある。
はっきりと匂いのある短歌というのはなかなか少なく、好き嫌いも分かれる所だと思う。僕は好きだが・・・。
ただ、僕にとって寺山修司の短歌は外国の名作映画を観ているような距離感があるのだ。
それに対して岸上大作の短歌は、魂を鋭い鍬で鋤き返されるように直截的なのだ。
好みの問題というよりも、生い立ちと生き方の問題なのだと思う。

「装甲車踏みつけて越す」という凄まじく鮮烈な映像からこの歌は始まる。
圧倒的だ。
それはおとぎ話でも幻想でもなく、ある時代に現実に起きていた出来事である。
ただ「越す」だけではない。「踏みつけて越す」の中に込められた意思。
そして、その「踏みつけて」いる足の裏にあるのは、怒りや憎しみではなく、「清しき論理」だと言うのだ。
「清しき論理」というのは青臭い言葉である。
一歩間違えればこの歌全体を駄目にしかねない危険な言葉である。
しかし、次の言葉がそれを救い、かつ昇華させている。
<私>はそこで何をしているかと言うと、「息つめている」のだ。この情景に、この時代のこの緊迫感に、そして装甲車を踏みつけて越えていく者が持ち、今現実に示されている「清しき論理」に。
この最後の言葉によって、この歌全体の緊張感が完成されている。一切の緩みがない。

恐らく、今の日本にどんなに才能のある歌人が現れたとしても、この歌はきっと書けない。そういう意味において、ある時代が、ある状況が、書かせた歌とも言えるのだが、やはりそこに岸上大作という人物がいたからこそ残された歌だと僕は思う。その時代から現在まで活躍している歌人・福島泰樹の当時の歌にも秀作は幾つかあるが、やはりこの歌を凌駕している歌はないと僕は思っている。
僕自身が詩を書く上においても、この短歌はひとつの理想形を示してくれている。
今も僕に影響を与え続けている一首なのだ。


パンク蛹化の女(戸川純)

戸川純は僕が意識するしないに関わらず、僕の人生に時々忍び込むようにして入ってくる。

始まりは京都に住んでいた頃、僕が鴨川の川原でうたっていた時、通りかかったおねえさんが僕のうたを聴いていてくれて、少し話をした後、「私もうたう」と言ってアカペラでうたったのが戸川純のうただった。曲名は定かではない。歌詞に「月」という言葉が入っていたような気がするが分からない。そうだとしたら、もしかしたらそのうたは「蛹化の女」(パンクではないやつ)だったのかもしれない。それっきりそのおねえさんとは会っていない。
本物の戸川純がうたっているのを聴いたのはそれより後だ。多分テレビで「レイダーマン」を聴いたのだと思う。まあまあいいうただと思ったが、大ヒットしたという話は聞かなかった。正直に言うと、僕は戸川純という人は好きだが、戸川純のうたには好き嫌いが激しくあり、アルバムを買ってまで聴こうと思わなかった。
この「パンク蛹化(むし)の女」を聴いたのはもっとずっと後で、戸川純がもう表舞台に出て来なくなってからであり、妹の戸川京子が自殺したのよりも後だった。
最初の「ワン、ツー、スリー、フォー」という叫びを聴いた瞬間にもう素晴らしいと思った。聴いたことある気がすると思ったのは、このうたの作詞は戸川純自身だけど、曲はあの有名なパッヘルベルの「カノン」だったからだ。名曲な訳だ。しかし、パッヘルベルには失礼かもしれないし、クラッシックファンからは非難を浴びるかもしれないが、僕は原曲より戸川純の方がずっと好きだ。しかも「裏玉姫」に収録されているヴァージョンよりも「東京の野蛮」に収録されているライヴ録音の方が好きだ。まさにライヴで聴くべきうただからだ。
歌詞をじっくり聴くと、これは強烈な純愛のうたであり、松本秀房流に言うと、このうたで戸川純は「男球」を投げている。魂のラヴソングとして至高の作品だ。

実は、何年か前からフォークジャングルでの自分のライヴのSE(登場する時の出囃子)として「東京の野蛮」ヴァージョンのを使っている。これが大音量でかかると、ライヴに対する集中力がどんどん増していくのだ。
ちなみにこれを書いている今も、「裏玉姫」ヴァージョンを大音量でエンドレスで聴いている。


Cry Baby(Janis Joplin)

20世紀最大のヴォーカリストは誰かと訊かれれば、ジャニス・ジョプリンと答える(ほんのちょっとだけボブ・マーリーと悩むが)。いくらジャニス自身がオーティス・レディングやティナ・ターナーを尊敬していたとしても。
ベタと言えばベタだけど、初めて「Cry Baby」を聴いた時は本当に鳥肌が立った。彼女がうたというものに憑依していると言えばいいのだろうか。僕は彼女の本質はそこにあると思う。声が魅力的だとか表現力が豊かだとか、そういうレベルを明らかに超えている。彼女は一種の天才的なシャーマンなのだ。
上手いヴォーカリストなんていくらでもいるけど、憑依しながら声をコントロール出来る凄さでは彼女と比べられるうたうたいは他にはいない。敢えて言うけれど、美空ひばりの「悲しい酒」もそのレベルには達していないと思う。
逆に僕が最低だと思うヴォーカル表現は、「オペラ歌手がうたう童謡」だ。そういうものを聴く度にいつも感じるのは、技術がうたを殺しているということ。つまりうたにとって最悪の状況なのだ。オペラ歌手が「赤とんぼ」をうたうのを聴いて素晴らしいと思う人がいるとしたら、その人は根本的に生き方を間違ってきたのだと思わざるを得ない。きっとそういう人の家にはルノアールの複製か何かが飾ってあるのだろう。

ちょっと話が逸れてしまった。

僕は彼女の数々の伝説についてはさほど興味がない。レナード・コーエンがジャニスのことをうたった「チェルシー・ホテル」はいいうただとは思うけれど。
彼女は死んでしまったけれど、今も叫んでいる。そのことが僕にとって最も大切なことだ。数々の名曲があるけれど、仮に彼女の他のすべての曲がこの世から消え失せても、「Cry Baby」さえ残っていれば、僕はこれから生まれて来るすべての子供たちに20世紀最大のヴォーカリストがジャニスだと証明できると信じている。


とんかつの死(吉原芳広)

僕はうたを作ったり詩を書いていると自分を天才だと思うのだが(いや、本当に)、他の人を天才だとはなかなか思わない。ただし、技術が高い人は世の中には山ほどいる。例えばうたの話は別にして絵画の分野で言うなら、ピカソは天才だがレンブラントは職人だ。ゴッホもちょっと天才だがルノアールも技術者だ。ここは大事なポイントで、僕は職人が作る作品に敬意は払っても、自分から積極的に触れようとは思わない。そんな中、僕が身近にいて天才だと思っているうたうたいが一人いる。吉原芳広という男で、僕よりひと回り年下だ。彼のうたには幾つも名作があるが、この「とんかつの死」といううたは、このシュールでイカす題名に負けない傑作なのだ。

「大抜擢!」という<囁く叫び>から始まるうたが何処にあるだろうか?
「鼻くそが付いたまま/神社のキツネも憑いたまま」「豚はとんかつ屋に出勤するのです」と彼がうたう時、それはただインパクトを狙っただけの言葉の羅列ではなく、どこかノスタルジックな、悲しい怒りと哀愁を帯びてくる。
このうたの中の「体臭が臭い」と連呼する部分が、つい最近のフォークジャングル(第78回・2004年11月3日)では「体臭がくちゃい」に変化していた。何回も聴いてきたうたなのに、また笑わされてしまった。この辺りのセンスもまた天才ならではなのだ。
彼がステージでうたい出すと観客が帰って行くという場面にこれまでに何度か出くわしてきた。免疫のない人たちは、彼の表現の特異さに対応出来ないのだ。それは勿論彼のせいではない。それは天才が背負っていく宿命なのだ(僕も含めて)。返ってくるものは嫌悪か絶賛かどちらかなのだ。それにじっと耐えながら、かつ繊細さを失わずにうたい続けてほしいと切に願う。
上野公園野外ステージの周りを一緒にポスターを貼りながら歩いている時に、蚊が交尾しているのを見つけて、「蚊でさえ交尾してやがんのになぁ・・・」と呟いた彼。そういうかわいい部分もあるということを付け加えておこう。


孤立無援の唄(森田童子)

森田童子のうたで何が好きかと考えるのはほんとうに難しい。
アルバムだったら「東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤」に決まっているのだが。

森田童子を初めて聴いたのは、中学2年くらいではないだろうか。だから僕はこの「孤立無援の唄」が入っている「夜想曲」というアルバムを新譜で買えた。しかも、このアルバムのプロモーションのためにラジオに出演している彼女の声も聴いた。結局それが僕にとって最初で最後の生・森田童子になったのだが。

どの楽曲が好きだというよりも、彼女の声と彼女がずっと背負い続けた時代性が好きなのだと気付いたのはずっと後の話だ。この「孤立無援の唄」の中にも、「高橋和巳」というキーワードが出て来る。
いったい今誰が高橋和巳を読んでいるだろうか?
けれど確かに「高橋和巳」という名前が象徴していたひとつの時代、ひとつの空気というものがあったのだ。
僕が「孤立無援の思想」という高橋和巳のエッセイ集を古本屋で見つけたのは、このうたを聴いてからずっと後になるのだが、それは、「高橋和巳」という名前も「森田童子」という名前も、もうすっかり過去のものになり果ててからだ。
「孤立無援の思想」という作品は、はっきり言って、その題名が僕に喚起したものからは遥か遠く、期待外れだったのだが、それを手にした時、僕は森田童子と糸電話で繋がっているような気分になれたのだった。

「ピラピタール」の出口のない淋しさや、ライヴ盤の「雨のクロール」の追われる者のような最後の叫びや、ぽつぽつと途切れがちに、けれどしっかりとした口調で語るうたの合い間の叙事詩のような話のひとつひとつ・・・真夏の寝苦しい夜に、僕はそんな森田童子を聴きながらよく眠ったものだ。
好きなうたうたいは沢山いるけれど、僕にとって特別に好きなのは、今も森田童子だけだ。


私たちの望むものは(岡林信康)

好きなうたというより、僕の人生を決めたうた。

ある朝、それまで名前だけ知っていた岡林信康の特集をラジオでやるというので早起きをした。
確か中学2年生の冬だったと思う。
ニューミュージック全盛期で、さだまさし、松山千春、アリスなどがヒットチャートを賑わしていた。
僕は既にギターを始めていたし、一世代前の吉田拓郎や井上陽水や泉谷しげるも聴いていた。

その特集は確か「おまわりさんに捧げる唄」というセンセーショナルなタイトルのうたに始まり、その時点で「これは凄いうたやな」と思ったんだけれど、それに続く「自由への長い旅」、そして「私たちの望むものは」を聴き終わった時、「俺がやるのはこれや」と確信していた。

今考えればストレートな歌詞だ。
それが「壁は語る」という本(当時の大学の壁に書かれた落書きを集めたもの)からのパクリであるかどうかは問題ではない。
繰り返される「私たちの望むものは」というフレーズと、その間で使われている「私」との関係性に深い意味がある。
当時まだ学園紛争、全共闘運動盛んなりし頃、「連帯」と「個人」の問題を少しずつ表現をずらしていく手法で捉え、えぐっている。
現在、そういう意味での「私たち」という幻想は既に崩壊しているけれど、今も国家なり、民族なり、ある特定の集団としての「私たち」幻想は存在している。
「私たち」と言う時、具体的に誰と誰と誰を指して言っているのかを明確にイメージすること。それが自分の中での「私たち」という言葉との格闘だと思っている。
誰かが「私たちは」とか「我々は」と発言した時の違和感は、このうたの精神性が僕の中に根付いているからだと思う。

僕はずっと「このうたを超えるうたを作りたい」と思ってきた。今まで「超える」ということを漠然と思っていたけれど、今この項を書くに当たって、うたを測る(量る)ものさしがあるとすれば、それは「感動の深度」と「浸透力の強さ」だと思い至った。
「感動の深度」はそれぞれその時の個人の状況(渇いている時には水に感動するし、飢えている時は銀シャリに感動する、その逆も真)によっても変わるし、「浸透力の強さ」はその時代の状況によっても変わるはずだ。だから、あの時のあの「私たちの望むものは」は、あの時の僕にとって「絶対値」だったのだ。

あれから20年以上過ぎたが、僕はまだあの爆風の中にいると言える。それは「私たちの望むものは」といううたそのものよりも、あのうたが僕に与えた「絶対値」を、うたというものの凄まじい力を僕が今も信じているからだ。