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麺処あずき(ラーメン)

八王子にあるラーメン屋。

今回更新するに当たって<好きな店>の最終更新日を見てみたら、2005年11月12日になっていた。
12年も更新していなかったことになる。
特に理由はないけれど、どうしてもここに書き残したいと思える店がなかったということと、僕が怠慢だったということだと思う。

僕は毎年年間に150〜200杯くらいラーメンを食べ続けてる。
だからと言ってラーメンブログを書いている訳でもなく、ラーメンデータベースや食べログに投稿している訳でもない。
ただ単に食べ続けている。
僕がラーメンを食べ続けている理由は、僕がうたい続けている理由にすごく近い。
それは、どちらも人生において激しい感動を与えてくれたから。
ここではその詳細は書かないけれど、今もその感動の余波の中にいて、ずっと新しい感動を求め続けているということ。

僕が再訪したいラーメン屋というのは、大抵2種類に分かれる。
強烈な個性で唯一無二のパンチ力を持っているラーメンか、毎日でも食べ続けたいと思えるような肌にしっくり合うラーメンか。
この店は、毎日食べ続けたい、近くにあったら通いたいと思えるラーメン屋の中で、近年では筆頭の存在。
この<好きな店>の最初に挙げた小田原・味一もとっくになくなったし、書いてはいないけれど、西の人間国宝的な存在だった門司・a子(みんず)ラーメンもなくなった今、僕の中で執着心があるラーメン屋は福岡・住吉亭くらいだったが、この店は東京にあって再訪を重ねたいと思える稀有なラーメン屋になった。

まず、姿が美しい。
シンプルでありながら、個性的で、かつトレンドに媚びていない。
八王子系という分類に属するラーメンでありながら、自家製麺であること(製麺機が店内にある)やスープが独特であること(店名の通り、あずきの煮汁も使っているらしい)で、はっきりと他の店と一線を画している。
透明ですっきりしたスープに見えて、表面の油の層が力強く、スープ全体に深みがあり、全く飽きさせない。
麺は細ストレート麺でありながら、しっかりしていて、卵麺とブラックペッパー麺と唐辛子麺を選べるのも素晴らしい。
こういう変り種の麺は往々にして色合い重視のことが多いけれど、ブラックペッパー麺はスープの輪郭を際立たせる役割を充分に果たしている(シンプルに卵麺も勿論いい)。
バラ海苔も個性的だけれど、最後に中央に載せられた小豆3粒が全体の姿の美しさを集約している。
すべてに、この女性店主のセンスのよさを感じる。

一度「小豆増しって出来ますか?」と尋ねたことがある。
そうしたら、「そんなこと言われたの初めてです」と笑っていただいて、普段は3粒の小豆を5粒にしてくれた。
ところが、実際に5粒になると今度は多過ぎると感じた。
この3粒というのが絶妙の数だったことに気付かされ、5粒にしていただいた感謝と共に、そのことを葉書を送って伝えた。
何ヶ月か経って、次に行った時、今度は何も言わなかったのに4粒の小豆が載っていた。
僕はそれがサービスなのか間違いなのか分からず、何も言わずに店を後にした。
ところが、また数ヶ月して次に行った時、今度も4粒だったので確信した。
僕の顔を覚えていてくださって、わざわざ4粒の小豆を載せてくださったのだ。
帰り際に「小豆、ありがとうございます」と伝えたら、また笑ってくださった。
なかなか行けないが、長く続いてほしい店だ。


ほんやら洞(喫茶店)

国分寺にある喫茶店。

学生時代、京都に住んでいたのに「ほんやら洞」には多分1回しか行ったことがなかったような気がする。しかも、そこで人と待ち合わせをしている友だちに連れられて覗いただけだったような・・・。
今思えばもっと通ったらよかったのにと思うが、その頃喫茶店といえばジャズ喫茶の「シアンクレール」かブルース喫茶の「ZACO」ばかりに行っていた。
その「ほんやら洞」と姉妹店だとも知らずに国分寺の「ほんやら洞」に初めて行ったのはもう10年以上前のことだ。
友人に連れて来てもらったような気がするが定かではない。その頃は国分寺に用なんてないし、家からもかなり離れていたので、そんな理由でもない限り寄ることもなかったと思う。

この店の経営者である中山ラビさんである(実はまだお会いしたことがないのだが)。
僕が彼女のうたを初めて聴いたのは、「ひらひら」でも「その気になってるわ」でもなく、URCレコード「続・関西フォークの歴史」に入ってた「子供にはこういってやんな」(CSN&Yのカヴァー)だった。
今でも僕は時々このうたを口遊むのだが、原曲よりも素晴らしいし、これまでに聴いた彼女の他のどのうたよりも心に沁みる。
どうしてこのうたが次々に登場する女性シンガーたちの誰かによってうたい継がれないのかが不思議でならない。

それはさて置き、国分寺駅南口から坂を下る途中、蔦の絡まる味わいのある外観が見えてくる(外観の写真を撮り忘れた!)。
店内には歳月が心地よく降り積もっている。
喫茶店はこうでなくてはならない。
コーヒー一杯の味もそれによって変わってくるのだ。
そして、こういう喫茶店はどういう訳か店の女の子が美しい。
近くやったら通うのになぁ・・・。


☆激うまのチキンカレー。アーモンドやフライドオニオンや干しぶどうが散りばめられている。

★コーヒーと今読んでいる「2001年宇宙の旅」と中山ラビ(う〜ん、シュールな組み合わせ!)



roji cafe(カフェ)

中板橋にある1軒屋のカフェ。

駅で言うと、東武東上線・中板橋と大山の間、下頭橋通りから路地を入った所にあるのだが、店の存在を知らなければ絶対にたどり着けない難解な場所にある。

この店がいいのは、家から歩いても行ける(30分位)という点もあるのだが、何よりも最高にくつろげる空間であるという点が一番だ。
酒でもコーヒーでも飲みながら、ゆっくりと何時間でも本を読んでいられるし、静かな会話も楽しめる。
ここにいると、自分が今東京にいることを忘れて、まるで沖縄のカフェにでもいるような錯覚を覚えるのだ。カフェと名のつく場所は東京にも数多くあるが、僕はこの店ほどリラックス出来る場所を他に知らない。

本棚に並べられている本も魅力的だ。
恐らくもう廃刊になっているであろうジャズの本もあれば、つげ義春や山川直人の漫画もあるし、スタイリッシュな写真集もある。
まるで飽きない。
僕は自分が持ち込んだ本を読むことが多いが、読み疲れた時に気分転換になるような本がさりげなく並べられている。

詩の朗読会もあるらしい。
一度勉強のためにそういう機会にも寄ってみようかと思っている。


☆ここがお気に入りの席。この日は黒ビールなんか飲んでいる。

★ストロングコーヒーとわらび餅(with黒蜜)と山川直人の漫画「コーヒーをもう一杯」

☆こんな本棚があって、かなりマニアックな本や漫画が揃っている。


たかしま珈琲店(喫茶店)

徳島駅前にある極上のホットサンドを食べさせてくれる店。

最初は何年か前に朝食を取ろうと何気なく入っただけなのに、今では徳島に来る度にラーメンを食べる回数を減らしてでも寄る店になった。
店の奥にはしっかりした鉄板があって、そこでベーコンや卵やハンバーグが焼かれる。こういうセンスのある店を経営しているとはとても思えない、いかにも田舎のおっさんというタイプのマスターが作るホットサンドが最高だ。徳島のあるタウン誌を読むと、トーストはオリーヴオイルを塗って焼いているという。店名の通りコーヒーでサンドイッチも勿論いいけれど、ちゃんとビールもワインも置いてあって、夜、ホットサンドにビールというのもこれまた絶妙。値段も決して安くはないけれど、まともな(!)食事をするためにはちゃんとした値段を出すのは当然だ。
それにしても、徳島駅徒歩5分のこの場所にこういう店が存在しているというのは素晴らしい。


☆小さくて読み辛いけど、店名の下に「来る人にはよい味を 去る人には幸せを」と書かれている。


★超おすすめのベーコンサンド・カレー入り(440円やったかな?)。



コンボ(ジャズ喫茶)

福岡・天神にあるジャズ喫茶。

どうやってこの店を知ったのかは覚えていない。多分何か本か雑誌で知ったのだと思う。そうでなければこんな店見つけようがない。
天神の街から離れていないのに、大通りから通り1本入っただけの古い雑居ビルにこんなジャズ喫茶があるというのは、この街の懐の深さを表しているのだと思う。扉を開けると、一瞬で喧騒を離れ、かつ一瞬で時代を超越することが出来る店だ。

最初の印象がとにかく強烈で、当時ウエイトレス兼皿回し(DJとは言わないと思うが)だった女の子が、僕の格好を見て(どんな格好をしていたか忘れたが、今と大差ないと思う)、僕が好きそうだからと掛けてくれたのがキース・ジャレットの「Somewhere Before」だった。一曲目がボブ・ディランの「My Back Pages」のカヴァーから始まるアルバムだ。まさに彼女が思った通り、僕はすぐに気に入って、他に客のいない店内でしばらく喋ったのを覚えている。結局彼女はその後店を辞めてしまったようでそれが最初で最後だったのだが、その後も僕は福岡に行く度に時間があればこの店に立ち寄り、「Somewhere Before」をリクエストするのが習慣になった。かつて京都の「シアンクレール」で「Tommorrow Never Knows」ばかりリクエストしたのと同じように。

東京にもジャズ喫茶は多いが、こういう<場末感>が滲み出しているような店には出会ったことがない。「マサコ」が近いかもしれないが、この「コンボ」はもっと<どんづまり>という感じがする(勿論いい意味で)。僕が知っている幾つかの名ライヴハウスは、<2階なのに地下みたい>という素晴らしい特徴を持っているのだが、この店もまさにそういう感じだ。
昼間から暗い店の中で、デューク・ジョーダンなんかを聴きながらぼんやりとアイスコーヒーを飲んでいたいものだ。


☆こんな所にジャズ喫茶なんてあるのかと思うようなビルの2階。


★マイルス・デイビスがイカしてらぁ。


JohnJohn(coffee&bar)

横浜・伊勢崎町にある店。
何気なく歩いていた時に見つけて、外観を観ただけで自分が好きそうな店だと直感して入って以来、横浜に行く度にちょっと回り道をしてでも立寄っている。
もともとはホットドッグスタンドとして始めた店らしく、今でもテイクアウト用のホットドッグも売っているのだが、店内の年季の入り方が心地よく、独りでもくつろげる所がいい。
店内には、店名からも察せられる通りジョン・レノンを初めとするミュージシャンの写真や絵が壁に貼られていて、ミュージックビデオが映されていたりする。
僕はそういうのを普段はうるさく感じたりするのだが、この店では全く邪魔になっていない。
そして何よりもいいのは、まともなコーヒーやまともなつまみを出すところである。
そういう店が案外少ないのだ。
自家製のピクルスをつまみにビールを飲んで、最後はホットドッグなどを食べると、完全にアメリカンな気分だ。
更に、日曜日には「投げ銭ライヴ」というPAなしでのライヴがあるらしい(残念ながら僕はまだ聴きに行ったことがない)。お名前を失念したが、元キャロルのギターリストの方も時々その「投げ銭ライヴ」に出演されているそうだ。
僕が住んでいる場所から若干遠いので、なかなか通えないのが残念なのだが、こういう店があるということが、横浜の街に深みを増しているのだと思う。


★雨の日の「JohnJohn」


龍神(ラーメン)

僕の家から徒歩圏内にある一番美味いラーメン屋。
けれど、徒歩圏内にあるからという理由からだけではなく、僕が頻繁に通うのは、各地にある「行列の出来るラーメン屋」に比べても間違いなく美味いからだ。
結局「行列が出来る」かどうかは美味さの絶対値によって決まるのではなく、マスコミにおける知名度、立地条件(これがかなり大きな要素)等が複雑に絡み合って決まるのだ。

創作系のラーメンを出す店は往々にしてそのオリジナリティーに溺れるものだが、この店はそのオリジナリティーに店長のセンスのよさが光っている。
今回写真を撮った「ねりごまつけめん・黒」も、僕はその進化の過程をつぶさに見てきた。
もともと開店当時から「ねりごまラーメン(つけめん)」は看板メニューだったのだが、途中で麺を全粒粉入り(と思う)に変えた。自家製麺で昔の麺も美味かったが、全粒粉入りに変えて更に麺の味に深みが増した。
ちょっと話は逸れるが、スープが美味い店はそこそこ多いが、麺が美味い店はかなり少ない。つけめんの場合、そういう点で本当に美味い鴨せいろを超えることが出来るのかという問題は、やはり麺にあると思う。
閑話休題。
麺が変わった後は、スープだ。
勿論当初からの「ねりごまつけめん」もメニューにあるのだが、これに最近「黒」が加わった。「ねりごま」はその名の通り胡麻が効いているピリ辛味のスープで、坦々麺とは似て非なるコクがある。これだけでも充分に美味いのだが、それに「黒」(恐らくマー油と思われる)が加えられ、さらにコクが増している。
これはかなりの名作だ。
最後にスープ割りを頼むと、かなりパンチの効いた魚介系のスープが足され、ここまで来るとラーメンというものの恐ろしいまでに進化した形をまざまざと見せつけられた思いになる。
大山まで来る価値充分。


★ねりごまつけめん・黒・中盛り


ライオン(クラッシック喫茶)

「渋谷」という名前を聞くだけで毛嫌いする大人たちは案外多い。けれど、僕にとって渋谷という街は、1990年から続けていた「街でうたううた」という路上ライヴの本拠地だったし、、今でも恋文横丁の「レンカ」はフォークジャングルのミーティング場所だし、思い入れの深い街だ。
テレビでは「109」や「センター街」のイメージばかり喧伝されているが、渋谷というのは実はかなり奥深い街で、あの駅前のスクランブル交差点のキチガイ沙汰の人波さえやり過ごせば、色々な楽しみ方のある街だ。

渋谷で幾ばくかの時間がある時、僕は決まって「ライオン」に行く。それはもう10年以上前からの習慣だ。
道玄坂を上がり、百軒店(ひゃっけんだな)へ右に折れ、「道頓堀劇場」と「喜楽」をやり過ごせば、ロック喫茶「BYG」の隣りに「ライオン」が佇んでいる。変わらない風景だ。
店内に入ると、あの薄暗く、静まりきった埃っぽい空気の中に、巨大なスピーカーからただクラッシックが降り注いでいる。僕はそこで本を読み、手紙を書き、眠る。沈没船のように。そこは「渋谷」でも「平成」でもない異空間だ。堆積してきた時間の重さがあまりにも心地よく、僕の中でいつの間にか置き去りにされていた想いが、ここでは静かに発酵させられてゆくのだ。
中野の「クラッシック」と比較されたりするが、僕は断然「ライオン」派だ。勿論好みの問題だ。「ライオン」にはかなり色濃く「死」の匂いがする。「時間の死」の匂いだ。この店があるかないかで、恐らく「渋谷」という言葉の意味も僕の中ですっかり違ったものになるのだろうと思う。


★一歩足を踏み入れるだけで、下界とは全く違った世界が。


マサコ(ジャズ喫茶)

下北沢にあるジャズ喫茶。

僕がジャズ喫茶に出会ったのは大学時代で、京都の荒神口にある「シアンクレール」だった。知る人ぞ知る店だ。高野悦子の「二十歳の原点」の中にも登場する店で、ジャズのなんたるかも分からないまま入り浸っていた。昼間から薄暗い店内で、分かったような顔して小難しい本を読みながら、煙草(しかも「ルナ」だ!)をふかしていた。人生の中であの時期だけ煙草を吸っていたのだ。残念ながらバブルの頃に地上げにあって潰れてしまったのだが。
それ以来僕は色々な街でジャズ喫茶を見つけたら入るようにしている。僕はジャズが好きなのではなく(もちろん嫌いではない)、ジャズ喫茶が好きなのだと気付いたのは後の話であるが。
下北沢というのは、ミュージシャンや劇団員やアーティストの集まる街だ。だから、僕は逆に苦手な街でもあった。中央線沿線も含めて、そういう環境に身を置きたい人たちの気持ちも分からないではないが、僕はどちらかというとそういう場所ではなく、庶民的な匂いのプンプンする街の方がずっと居心地がいい。ただ、残念なことにそういう街にはなかなかジャズ喫茶がないのだ。

ジャズ喫茶は大きく二つに分けられる。じっと黙って音に浸る店とジャズをバックに会話が出来る店。どちらも好きなのだが、「マサコ」は後者だ。
「マサコ」は何がいいかって、下北沢という「オシャレ」な街にあり、しかも老舗でありながら全く気取っていないことだ。抜群に居心地がいい。更に、店員のおねえさんたちはしょっちゅう変わっているようだが、みんな揃って雰囲気があるし、美人だ。こんな店はなかなかない。もし近所にあったら、まず間違いなく入り浸っている。だって「ゴルゴ13」もちゃんと揃っているのだ。
またもや僕は心の中で「潰れないでほしい」と願うのだった。


☆下北沢の駅からもすごく近い。


ナノグラフィカ(喫茶室・手作り雑貨等)

こういう店が東京にあったら通うのに、という店。

長野市・善光寺仁王門を入ってすぐに左に折れると、30m程先の点滅信号のふもとにある。
古い民家を改造した店で、ナノグラフィカ内にある喫茶室「金斗雲」は畳敷きになっていて、すごくリラックスできる。(ちなみに手作り雑貨部門を「パンダ観測」というらしい)
マスターのタマちゃん(女子)は、僕が日本2大ライヴハウスのひとつと思っている長野・ネオンホールの従業員だった人で、僕が初めてネオンホールで食べた「タマちゃんカレー」は今でも印象に残っている。それ以来彼女の料理の腕前はずっと信じていたのだが、ついに店を出したということで、ライヴの翌日に早速寄ってみた。

僕が喫茶店を選ぶ条件は3つあって、それは「場所・店の雰囲気・マスター」である。
場所は善光寺から近く、かつ観光客でごったがえしている参道から少しそれた町家が建ち並ぶ通りで、文句なし。店の雰囲気は、前述した通りで、畳敷きの喫茶店というのは最高に僕好みなのだ。店の中に、住居になっている2階に上がる古い階段もあり、これもいい調度品になっている。で、マスターは、タマちゃんである。言うことなしだ。

初めて行ったのに、あまりにも居心地がよくて何時間も居座ってしまった。
店内でオブジェを展示している上越教育大生の土合(ドアイ)君が展示期間中そこに泊まっていて、前日一緒にライヴを終えたまーちゃん、中村ゆきまさ、ピラルク(バンド)の人、その子供のすず君も交えて凄く楽しい時を過ごすことが出来た。
こういう店がつぶれないで欲しい、と切に願う。
かつて沖縄に「Uchi」という、これも古い民家をそのまま使ったいい店があったのだが、次に訪ねた時にはなくなっていた。
いい店がつぶれると、心の中にぽかんとひとつ空き地が出来たような気分になるのだ。

長野には「奈良堂」という素敵な喫茶店があるが、これで新しい立ち寄り場がまた増えた。
街を好きになるというのは、多分こういうことの積み重ねなんだ。


☆土日限定「タマちゃんカレー(僕が勝手に命名)」(食べかけで申し訳ない)と番茶をベースにしたオリジナルのチャイ風飲料「バンチャイ」。


★左から土合君、僕、中村ゆきまさ。撮影は小学2年生のすず君。


☆すず君とすず君が店にあるオブジェで作ったストーンヘンジみたいな作品。


★右奥が2階への階段。カウンター前にある四角い将棋盤のような箱は土合君製作のオブジェで、のぞき穴が付いていて、さわるとチクチク、にぎるとピカッとするものなのだ。



味一(ラーメン)

ラーメン界で、人間国宝に指定したらいいと思う人物が二人いる。そのうちの一人が味一のマスターだ。

味一は小田原から早川へ向かうJRの線路沿いにある。
カウンターだけ7,8席の小さな店で、街外れにあるのにいつも行列ができている。
勿論、行列ができるから必ずしも美味いなんてことはない。
各地には「行列のできるまずいラーメン屋」なんて幾つもある。
しかし、ここは本物だ。

数年前に旭川ラーメンがブームになった。いわゆるご当地ラーメンブームの一環として。
味一も所謂その旭川ラーメンの系列に入るのだが、ブームの前もブームの後も変わりなく、夫婦二人で切り盛りをしている店である。

ラーメンについては専門誌もあるし、映像メディアで頻繁に取り上げられているし、それぞれの思い入れもあるので、「今更」という話ではあるが、ラーメンの何が僕をここまで引き付けるかというと、結局「感動」である。
「味一」のラーメンは、今までに何度も食べたけれど、いつも感動する。それがどこから来るのかはよく分からない。食べ終わって店の外に出ると、なぜか空を見上げたくなるラーメンなのだ。「あぁ」という嘆声が思わず漏れることもある。

僕は時々「おやじの出汁(だし)が出てる」という言葉を使う。これは勿論褒め言葉である。トリガラとかトンコツとか削り節とか野菜だけが出汁を出すのではない。「おやじ」そのものが出汁を出しているのだ。それは単なる足し算ではなく、パイ包み焼きのパイのようなものである。
ちょっと逸れるけれど、ラーメンは大した事ないが、いい「おやじ出汁」が出ているという店も中にはある。僕はそういう店も嫌いではない。
味一はこの「おやじ出汁」も凄い。カウンターの中でラーメン作りに集中している姿、お勘定の時に「ありやとございやした(ありがとうございました)」と言う時の飄々とした表情、こういうものも含めて一杯のラーメンとして食べているのだ。

正直に書くけど、年配のラーメン職人の方が作るラーメンは、往々にして麺の茹で加減がゆるい。味一でも麺はだいたいやややわらか目である。これを許せるかどうかもその店と食べる側の関係性にあると思う。ただ、一度味一で完璧な茹で加減のラーメンを食べたことがある。それは、本当に完璧なラーメンだった。こういう完璧なラーメンは、一生に一度か二度しか食べることができないんじゃないだろうかと思っている。

まず味一で醤油ラーメンを食べてみてほしい。