my favorite persons


佐藤栞(AKB48・チーム8)


(AKB48・41stシングル選抜総選挙・佐藤栞推しTシャツ)

AKB48を初めて意識したのは、「桜の栞」というシングル(「ポニーテールとシュシュ」の1曲前)が出た頃(2010年春)。
AKB48という存在自体は知っていたけれど、うたっている姿を意識して観ることはなかった。
何故この「桜の栞」という曲で彼女たちをじっくり観たかというと、アイドルが合唱曲をうたうという斬新さと「大人数で勝負するにはこの手があったか」とその戦術に感心させられたから。
まだ前田敦子の顔も高橋みなみの名前も知らなかったその頃に僕が率直に感じたのは、「曲はええけど、この曲に振り付けは要らんやろ」ということ。
今思えば、この曲に運命的な「栞」の文字が入っていた。

その後、その年に始まった「AKB48のオールナイトニッポン」をたまたま聴いた時に、「変わったノリの面白い子がおるんやなぁ」と感じて、インターネットで検索したら、その子がすごく美人で驚いた。
しかも、その子は選抜メンバーというものには入っていないという。
それで、動画等をいろいろと調べ始めたのがキッカケで今に至る。
ちなみに、その子というは梅ちゃんこと梅田彩佳。
数多くのメンバーが卒業して行った中で、これを書いている2015年7月時点で卒業していない数少ない2期生で、しかも、今ではAKB48からNMB48に移籍して活躍している。

梅ちゃんも、そして、この<好きな人>の壁紙になっているはるちゃん(NMB48・木下春奈)も、まず絶対的にヴィジュアルが好き。
そして、声が好き(落ち着きのある低めの声)。
このふたつは、アイドルだけじゃなく、僕が女性を好きになる絶対的要素。

さて、長い前置きを経て、本題。
今までの人生で僕が好きになった女性は、それぞれに魅力的だった。
髪の長い子もいれば、短い子もいた。
ちょっとやんちゃな子もいれば、真面目な子もいた。
目がくりっとした子もいれば、純和風な子もいた。
僕にはタイプというものがなくて、僕が何か強力に惹きつけられる魅力を持っていれば、その子がどんなタイプかにかかわらず好きになってきた。
そう、しおりん(佐藤栞)に出会うまではそう思っていた。

たまたま観ていたチーム8関連の動画の中に、チーム8の新潟メンバーの合格発表を告げる動画があった(ちなみに、チーム8は47都道府県から各1名ずつメンバーが選ばれて、47名のメンバーがいる)。
そこに映し出された少女を観て、「あっ、この子が僕のタイプなんや」と思った。
この感覚は、生まれて初めて。
幸か不幸か、僕は未だに世間の常識にまみれていないので、まるで同級生に恋するように、その16歳(当時)の少女に完全に魅了された。
それが、しおりんこと佐藤栞。

バンジージャンプを3秒で飛んだことや、ダンスがキレキレなことや、両方のえくぼがチャーミングなことや、声が絹の肌触りのように柔らかいことや、笑顔が無垢で完璧なことなど、魅力的な部分は沢山あるけれど、何よりもその存在そのものが圧倒的。
彼女がアイドルについて語った言葉で、「そこにいるだけで誰かが幸せなれればいいかな」というのは、まさに彼女のこと。
確かに、キャンディーズのことを思ってみても、しおりんのことを思ってみても、そこにいるだけで幸せな気持ちにしてくれる存在を<アイドル>と呼ぶのだと思う。

チーム8に合格した時に、彼女の同級生(男子)が彼女について「目を合わせたらオーラで死んじゃう」と語っていた。
至極名言だと思う。
僕は劇場公演や握手会で実際に彼女に会って、弥勒菩薩のように感じた。
こんな人が実際に存在していることに、今もただただ驚嘆している。

彼女の、人間として、アイドルとしての魅力が存分に発揮されている動画がある。
これはAKB48の公式動画なので、余程のことがない限り削除されないはず。
僕はこの動画を何十回も観直して、全く飽きることがない。
その動画のリンクを最後に貼っておく。

NOTTV「AKB48の"あんた、誰?"」2015年5月29日(金)放送分(第779回) / AKB48[公式]


追加でもうひとつ。
2015年8月13日に香港で行われた「香港フードエキスポ2015」に参加した時の貴重な映像。
しおりんが3人のセンターを務めて「47の素敵な街へ」を演っているのを現地のファンの方がアップしてくださった。
Team 8 47 素敵 街@東日本美味魅力展2015


オードリー


(「オードリーDVD」のおまけの団扇)

すごくベタだけど、オードリーが好きだ。
2008年のM−1グランプリの予想をした時、ナイツとザ・パンチが決勝に進むことを望むのと同時に、敗者復活でオードリーが上がってきて欲しいと<しゃべるんや>にも書いたと思う。
熱狂的ファンという訳ではないのかもしれないけど、YOU−YUBEで彼らの映像を毎日観ているからファンには違いない。

<ズレ漫才>と呼ばれる形式や春日の独特なキャラクターが取り上げられることが多いが、実は漫才における演技の上手さは際立っている。
若林が喋っている時に春日が咳をして話が中断してしまうネタがあるが、その時に春日の咳の自然さ。
ツッコミを敢えて不自然な形でやっているだけに、その咳があまりにも自然で本当に咳をしてしまったようにも見える。
若林の話に対して春日が突然ツボに入ったように笑い出し、若林が調子に乗って話し続けていると春日が急に真顔になって無視するネタもそうだ。
「これ、ハマんなかったみたいですけどね」と若林が反省するのだが、この時の春日の笑い方もすごく自然で、一見本当に面白がっているように見える。
オードリーのネタは全部若林が書いているから、彼がオードリーの屋台骨のように思われているが、春日の演技力が虚と実のシーソーゲームを絶妙に成立させているとも言える。
つまり、そういう意味で彼らは正真正銘の実力派でもあるということ。

僕がオードリーを好きな理由のもうひとつは、春日がホンモノだということ。
これだけ売れた今でも、ファンや近所の人にはバレバレの風呂無しアパートに住み続けるというのは並の精神力ではない。
家賃というのはドブにお金を捨てているようなもので、お金を貯めて家を買うのが夢だと彼は言うが、家を買う買わないは別にして僕も家賃に対しては同意見だ。
家からシャンプーをしながらコインシャワーまで歩くから、近所の小学生から<シャンプーおじさん>と呼ばれていたというエピソードや、食パンの耳をもらって食べているというエピソードや、学生時代には友人が出した賞金のために学校の銅像にスリーパーホールドを掛けて首を折ろうとしたというエピソードなど、貧乏だからというだけではなく倹約という生き方を徹底しているのもホンモノである。
現在テレビに映っている春日は確かに作られたキャラクターではあるが、このホンモノの土台があるからこそ簡単に揺るがないのだ。

オードリーがまだ売れていない頃、渡辺正行さんが主催するラママ新人コント大会(ちなみに2009年7月で第264回というのは凄い。売れた今もお笑いを志す若手に場所を与えようとする渡辺正行さんに最大の敬意を表する。フォークジャングルの第100回なんてまだまだ)で、オードリーを観た渡辺正行さんは「これはM-1の決勝に行ける漫才だよ」と言い、春日のキャラ作りの参考になるから映画「トイ・ストーリー」のバズ・ライトイヤーを観た方がいいとアドバイスを与えたという。
僕はそれを聞いて実際に「トイ・ストーリー」のバズ・ライトイヤーを観てみた。
確かに、他人が何を言おうと耳を貸さず、自信たっぷりにかつ嫌味なく、自分を貫き通すというキャラクターは春日に共通している点が多い。
それを素早く見抜いてアドバイスをした渡辺正行さんは凄いし、オードリーはラッキーだったと思う(そのラッキーも実力があるからこそ呼び込めた)。

オードリーを観ていて最も感動したのは、<しゃべるんや>にも書いたが、M−1グランプリで最終審査発表前にインタビューを受けた時の春日。
ナイツ、NON STYLE、オードリー・若林が控えめなコメントをする中、春日だけは「(自信)なきゃ立ってないッスよ、ここに」と真っ直ぐに言い放ち、会場からは「オーッ」とどよめきが沸き起こった。
僕はその時鳥肌が立ったのを覚えている。
いくらキャラクターとは言え、それをあの場面で貫き通すのは並大抵ではない。
それは、キャラクターと本人が究極の形で一体化した瞬間だったのかもしれない。

ここ数年、毎年新しい<旬なお笑い芸人>が生まれ、すごい露出量で一気に消費されては影が薄くなって脇へ去って行く。
数々の芸人がそういう道を辿って来た。
オードリーももしかしたら同じ道を辿ることになるのかもしれないが、その後も見つめ続けていく価値のある数少ない芸人だと僕は思っている。



鳥居みゆき


(日刊スポーツ・2008年1月31日号23面より)


(お笑いナタリー・2016年4月4日記事より)

天才である。
現代日本のお笑い界における稀有の存在である。
僕が知る限り、鳥居みゆきは女性としては上沼恵美子(旧・海原千里)以来の天才である(勿論タイプは違うが)。
お笑い界全体としても、横山やすし、松本人志と続く天才の系譜に間違いなく入る。

お笑い芸人は、演技力、ネタを創る能力などの職人的な能力と、個性、アドリブ力、切り返しのスピード、語彙の豊富さという天分と、それを統合的に表現する腕力によって評価されるものだと思う。
このどれかがズバ抜けている人がメジャーになれる人であり、どれもそこそこに持っている人が食っていける人なのだと思う。
鳥居みゆきは余りある天分(これまでに個性として培ってきたもの)に加え、抜群の演技力とネタの構成力という職人としての能力も兼ね備えている。
その上、彼女は美貌という武器まで持っている。
これまでは面白い顔やデブであること、つまり醜さが女芸人としての武器だと考えられていたが、彼女がそれを百八十度転換させてしまった。
そういう意味で革命家でもある。

また、彼女は例えるなら妖刀である。
抜けばスパッと切れる。
とりあえず刀を振り回しているだけの芸人とはレベルが違う。
あまりにも切れすぎるので、相手をしている人間が切られたのかどうかも分からないうちに鞘に収めてしまう程の切れ味があるのが、彼女の唯一の弱点でもある。
フリートークをする場合、ある程度見合った才能のある人間にしか彼女の魅力は引き出せない。
魅力を引き出す力がない人が相手をすると、彼女はただギラギラと妖しい輝きをしているだけの鉄の塊にしか見えない。
これは、あらゆる天才が抱えている共通の不幸でもある。

例を引くのは忍びないが、GyaOでの彼女の冠番組「鳥居みゆきの社交辞令でハイタッチ」の2回目で、番組名をコールする時、相手の飛石連休・藤井がちゃんとタイトルコールしているのに被せて、「『社交辞令でパイプカット』」と彼女は言った。「今違うこと言ってたよね」とツッコまれて、今度は「あっ、間違えた。さあ、始まりました。『エメロンシャンプーを大人買い』」と言い、最終的に「ようやく始まりました。『鳥居みゆきの社交辞令で核武装』」と言った。
この感覚は、テレビではオンエアーされないか、ただ「危ない人」というレッテルを貼られるだけで終わってしまう。
本当はただ言語感覚が鋭いだけなのに。
僕は、笑うと同時にひたすら感動した。

僕は、彼女がアングラ・お笑いアイドルになって、テレビには出ないが単独お笑いライヴをしたら武道館が満員になるような芸人になってほしいとも思うし、逆に、松本人志のようにテレビと折り合いをつけて少しずつ新しい分野を開拓してもいいと思う。
出来れば、結婚して引退というような道だけは歩まないでほしい。
それはお笑い界における大損失にもなるし、僕個人としてもとても淋しいからだ。



キャンディーズ


(ヤフーオークションで落札したキャンディーズのポスター@)


(ヤフーオークションで落札したキャンディーズのポスターA)

僕はいわゆるアイドルを好きになったことはほとんどない。
僕が中高生の頃はアイドル全盛期で、松田聖子や小泉今日子などそうそうたるアイドルたちが雨後の筍の如く現われては消えていったが、僕は誰かのレコードを買ったこともなければ、ファンレターを書いたりしたこともない。
けれど、僕が人生で初めて、そして唯一買ったアイドルのレコードは、僕が小五の時のキャンディーズの「やさしい悪魔」だけなのだ。
それだけでピカソ、高橋恵子、松尾芭蕉、尾崎放哉という流れの中に、キャンディーズという名前が並ぶのは奇異に感じられるかもしれない。
けれど、僕を夢中にさせる人物という意味ではみんな共通していると言える。

こういうのを多分<再発見>というのだろう。
「YOU TUBE」でたまたま南海キャンディーズを検索していたら、キャンディーズの映像が現われた。
で、懐かしい思いで観始めたら止まらなくなっていた。
特に、後楽園球場でのファイナルコンサートの「春一番」の映像を観た時、今まで僕の胸の奥で埋もれていたキャンディーズが、現実の存在として僕を完全に捕らえていた。
想像をはるかに超えて素晴らしかったのだ。
「懐かしい」という思いではない。
今目の前の映像のキャンディーズに恋してしまっているのだ。
「何故こんなにも素晴らしいのか」と自問しつつ、キャンディーズについて色々と調べていく中で(インターネットは本当に便利だ)、その理由が分かってきた。

まず、キャンディーズはライヴ歌手なのだということを気付かされた(これは、僕のうたうたいの友人・中村ゆきまさ氏とも意見の一致する所だ)。
テレビの彼女たちは、テレビ局や番組のバックバンドの演奏でうたっていたし、当時の作曲家や編曲家が決めたアレンジはおとなしかった。
ところが、ライヴではMMP(後のスペクトラムの母体)というソウルフルなバンドが演奏を担当し、特に「ハートのエースが出てこない」や「危い土曜日」や「春一番」などのアップテンポの曲のノリがテレビとは全く違ったものになっている。
そして、忘れてはいけないのがライヴでのファンの存在だ。
全国キャンディーズ連盟(全キャン連)というファンクラブが、事務所発ではなく、ファンによって自主的に結成されたものであるということも特筆すべきことだし、うたのリズムに乗るように作られたコール(ランちゃーん、スーちゃーん、ミキちゃーん)も、ライヴではそれを含めてひとつのうたとして成立していると言っても過言ではない。
更に、ファンたちによる紙テープの圧倒的な数。
ステージを完全に埋め尽くすほどの紙テープは、ちゃんと芯を抜き、直接当たらないように頭の上から降るような感じで投げるというマニュアルまで出来ていて、特に「哀愁のシンフォニー」という曲の「こっちを向いて」という歌詞の時に一斉に投げられる紙テープは圧巻である。
これらは、後の他のアイドルのファンたちにも間違いなく影響しているし、そういう意味でも先駆的であった。
しかし、にもかかわらず、キャンディーズはファンに対して常に丁寧語を使い、一定の礼儀を払った上での一体感を達成していたのは凄い。

そして、言うまでもないが、キャンディーズはめちゃくちゃかわいい。
「8時だョ!全員集合」や「みごろ!たべごろ!笑いごろ!!」でバラエティーも本格的に出来るアイドルとしての才能を示していたが、やはりうたっている時の彼女たちは最高だ。
僕は個人的にランちゃんのファンなのでどうしても彼女に注目してしまうが、DVD「キャンディーズ・トレジャー」に収録されている1978年の芝郵便貯金ホールでのコンサートの「ハートのエースが出てこない」のランちゃんは奇跡のように美しい。
2番で「優しい誘いに弱いせいなの」とうたう彼女の流し目は、かわいさと色っぽさがこの世の頂点で交わっている。
僕は何度観ても釘付けになる。
しかし、よく観てみると、ミキちゃんの完成度の高さも凄い。
デビュー当時から出来上がった美形の顔をしているし、うたは抜群にうまい。
彼女がメインヴォーカルを取った曲が「わな」1曲だけしかなかったことは、アイドル文化史を研究する上では注目すべきことだと思う。
スーちゃんがキャンディーズの初代メインヴォーカルであるということは忘れられがちだが、これも重要な点だ。
一番年下で、アイドルは妹キャラで売り出すべきだという事務所の方針(思い込み)によってそうなったらしいのだが、結局ランちゃんをメインヴォーカルにした「年下の男の子」でキャンディーズはブレイクする。
けれど、スーちゃんの少し幼いまっすぐさ、ミキちゃんのボーイッシュなかわいらしさ、そしてランちゃんの大人びた雰囲気がバランスよく調和しているからこそのキャンディーズであるということを忘れてはいけない。
一人一人の魅力が、お互いの魅力を更に引き立てている。
それにしても、スーちゃんが後にこんなに大女優になるとは想像も出来なかったが・・・。

最後になったが、なんと言っても楽曲が素晴らしい。
僕は様々なうたを再評価することになっし、新に好きなうたも出来た。
自分でライヴをする時の選曲もそうだが、軸になる曲というのがある。
それはキャンディーズにとってはやはり「春一番」だ。
ファイナルコンサートでも、他のコンサートでも最後の盛り上がりの部分で「暑中お見舞い申し上げます」から「春一番」への一連の流れがあるのだが、これは圧巻である。
これぞライヴという感じだ。
また、コンサートの始まりの勢いをつける曲として「ハートのエースが出てこない」がよく使われているが、これも上手い選曲だ。
そして、ファイナルコンサートでも最後にうたわれた「つばさ」は、キャンディーズの集大成と言える。
感動が結実して、最後には拡散していくイメージ。
そんな数々の名曲の中、僕が今一番気に入っているのは「恋のあやつり人形」だ。
自分たちがあやつり人形になった振り付けでうたうのだが、それがかわいらしく、楽曲も素晴らしく、それぞれのソロパートもあり、これまた釘付けになる。

キャンディーズは来年(2008年)、解散30周年を迎える。
僕は彼女たちに再結成してほしいと思わないが(この年齢での「その気にさせないで」は聴いてみたい気がするが)、ファイナルコンサートの完全版のDVDは是非出して欲しい。
それが出たら、他のあらゆる贅沢を我慢してでも買うつもりだ。

最後に、ありがとう、キャンディーズ。


尾崎放哉

「咳をしても一人」であまりにも有名な自由律の俳人。

僕自身も教科書に載っていたこの句によって尾崎放哉を知った。今すごく好きな句かと言われればそれ程でもないが、やはり衝撃的な出会いだったということは覚えている。
それまでに知っていた五・七・五の俳句の形式や季語という概念からも逸脱し(「咳」が季語だとする説もあるが)、それは研ぎ澄まされた刃を目の前にポンと放り出されたような衝撃だった。
一般的な句を詠むというのがどういう精神の動きによるものなのか僕は今でもよく分からないが、自由律の句を作ることは、僕が詩(歌詞)の一行を書く作業にとても似ていると感じている。
だから、尾崎放哉の句集を買い、彼の数々の作品に触れたことによって、僕が詩(歌詞)を作っていく上で、一行一行に対する<研磨>の仕方が変わったのは確かだ。
そういう意味で尾崎放哉は僕の師とも言える。

僕が好きな句に、
「とんぼが淋しい机にとまりに来てくれた」
というのがある。
例えば、詩や句という短い言葉による表現の場合、「悲しい」とか「嬉しい」とか「淋しい」とかいう曖昧な形容詞を使わずにその感情を表現することを「上質」とするような考え方がある。しかし、この句の「淋しい机」というのは、もちろん淋しいのは「私」なのだが、「私」がどう淋しいかが問題なのではなく、「私」に宿る淋しさの本質が「机」と共有されているということを「淋しい机」というこの短い言葉によって表現し切っているという点が凄いのだ。
この「淋しさ」は森田童子がうたう「淋しさ」と同質のものだと僕は思っている。かつて森田童子も尾崎放哉について語っていたことがあったっけ。
そして、「来てくれた」という言葉に込められた柔らかな感謝の気持ち。
なんと淋しく温かい句なのか。

「すばらしい乳房だ蚊が居る」
という句は、「蚊が居る」と言うことによって、「すばらしい乳房」をありありと喚起させられてしまうのだ。この句に触れた時に自然と想像した乳房が、きっと自分にとって理想的な乳房なのだと後から気付き、ハッとさせられたりした。

彼の生き方も数奇なのものなのだが、ここでは触れない。
よく種田山頭火と比べられたりするが、作品の<研磨>のされ方に雲泥の差があると僕は思っている。見ているだけで死にたくなるような刃と泥の付いた鎌くらいに。もちろん前者が尾崎放哉だ。

最後に僕が何年か前に詠んだ句をひとつ。

テキーラが胃袋をありありとさせて寒月

僕もまだまだだ。


松尾芭蕉

ジャック・ケルアックに出会う前、僕に「旅」というものを意識させてくれた人。

「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」というあまりにも有名な書き出しの「奥の細道」を知ったのは、おそらく多くの人と同じように僕も教科書からだった。それまでにも紀行文というものを幾つも学んできたが、この「奥の細道」が僕の心を捉えたのは、「芸術」(俳諧)と「旅」というものが結び付けられて存在しているという点だったのだと思う。
その後「野ざらし紀行」や「笈の小文」など他の紀行文も読み、芭蕉自身も西行の影響を受けていることなどを知り、ますます「芸術」と「旅」の結び付きについて興味が深くなった。
彼が実は忍者であったという説(伊賀上野出身ということもある)や旅をするにあたってスポンサーがいたということなど、彼の旅のバックボーンには、僕はそれ程興味はない。句を軸として書かれた紀行文の芸術的完成度の高さと彼の旅への想いに心打たれるのだ。
特に「旅」という言葉を詠み込んだ句がやはり心に残っていて、
「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」という芭蕉最後の句や、「笈の小文」の「旅人と我が名呼ばれん初しぐれ」は特に好きな句だ。僕の「ライフ・イズ・ビューティフル」といううたの「誰かが僕を旅人と呼んでる/だけど君も旅人じゃないかと握手する」という歌詞は、この後者の句からイメージを受け継いでいる。

僕自身、旅にあって詩を作る。芭蕉の足跡を訪ねて歩いたのは、中尊寺くらいだが、他の場所を旅している時も、芭蕉の旅する様を心の中でなぞっているのだ。そういう有り様こそが「受け継ぐ」ということの意味だと、これも芭蕉から学んだことのひとつだ。


高橋惠子(関根恵子)

「こんなに綺麗な人がいるんだなぁ」と初めて感じた女性。

「太陽にほえろ」でその存在は知っていたけれど、その時は特に何かを感じたわけではなかった。
それから何年かして、ワイドショーで「逃避行中の関根恵子を捕らえた独占映像」とかいうのを観た。
それは以前知っていた彼女とは違い、長かった黒髪はベリーショートの金髪になり、まだどこか幼さを残した丸みを帯びた顔は他を寄せ付けないシャープな輪郭に変わっていた。
それを観た時の感想が冒頭に挙げたものだ。
僕が今もショートカットの女の子が好きなのもこの影響かもしれない。
当時は僕も幼くて、「逃避行」の意味もよく分からなかったけれど。(なんだか逃げているんだなぁということだけは分かった)

その後若い頃彼女が出演した映画を観たり、テレビドラマで観たりしたけれど、あの時、あの瞬間の彼女の持っていた独特の美しさを感じることはない。(勿論若い頃もかわいかったし、今もすごく美しいけれど)
あれは、あの刹那の放つ美しさだったんだと理解したのは後のことである。

ただ1度、高橋伴明監督の映画「TATOO〜刺青あり〜」で、雨の中宇崎竜童に無理矢理キスされた彼女が、その直後に唾を遠くに吐き捨てる場面を観た時、あの逃避行の時の関根恵子に重なるものを感じた。(映画「男たちの描いた絵」の高橋惠子も素晴らしかったけれど)

僕は1度だけ本人に会ったことがある。
新宿の飲み屋で。
彼女は夫の高橋伴明監督と一緒に飲んでいた。
店の中では声を掛けなかったけれど、たまたま帰りが同時だったので、店を出た所で勇気を出して声を掛けた。
何か気の利いたことを言おうと考えたのだが、その時僕はしたたか酔っ払っていて、どうしようもないことを言ってしまった。
「ずっとファンでした。期待してます」・・・。
漠然と期待されても困るよね。
いつかまたどこかで偶然に会えることがあれば、ここに記したような想いを伝えられればと思う。
それはそれでまた困るかもしれないけれど。


ピカソ

「ピカソの絵が分からない」と言う人が時々いる。
僕は今まで何度となくピカソが展示されている展覧会に行ったことがあるけれど、僕だってピカソの絵を分かったことなんて1度もない。
というか、分かろうとしたことが1度もない。
絵を分かる(理解できる)かどうかなんて、評論家に任せていればいい。
絵の前に立って、静かに激しく対峙する時、魂が揺さぶられるかどうかだけが問題なのだ。
少なくとも僕にとっては。

「キャンバス」という視点で捉えれば、ピカソも西洋絵画の伝統的系譜の中で語られるべき存在なのだろうが、ピカソ以前とピカソ以後をはっきりと画しているものは、「表現するってどういうことやねん」という問題と全面的に格闘しているかどうかだと僕は思っている。
その格闘が絵の中で体現されているからこそ、僕はピカソの絵の前で自分の沸き立つ血潮を感じるのだ。まるで激しい格闘技の試合を観ている時みたいに。
言うならば、ピカソ以後「表現」は完全に総合格闘技の時代に入ったということだろう。

ちなみに1作挙げるとするならば、「泣く女」だ(同じタイトルで何作かあるけれど)。
これは女が泣いている絵というよりも、破壊されたものの姿、あるいは破壊された自分自身として突き刺さってくる。
それを突き刺したまま「さて、次はどないしよか」と考えられる、あるいは考えなければならない時代にいる表現者としての絶望と希望をピカソはくれたのだと思う。