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〜 日々の気になることを徒然なるままに 〜


  2021年6月23日(水) 昨日1回目のワクチン接種を終えた
  リスクとは何か〜ワクチン接種を拒む人たちへ〜

ワクチン接種を拒んでいる人たちの中に、<中長期的リスク>について言及している人たちがいる。
こういう人たちは<エビデンス>などという中身のない出来合いの言葉も大好きだ。
それを<証明>や<明証>と呼ばずに<エビデンス>と呼ぶことで賢くなったとでも思っているのだろうか。
覚えたての知識に溺れるタイプの厄介な人たちだ。。
情報化社会において、実は一番危険なのがこういうタイプの人たちだ。
自分が得た小さな情報に拘泥する人たち。
そういう人たちは情報第一主義で、その先に思考が発展しないから、俯瞰して物事をとらえることが出来ない。
結局は浅薄な知識に溺れてしまう。

ワクチン接種が安全かどうかと問われたら、100%安全な訳がないのは当然だ。
しかし、世界を見渡してみたらすぐに分かることだが、この世界にはそもそも<暫定的な安全性>しか存在しないのだ。
僕たちはその不確かで暫定的な安全性を頼りになんとか生きているだけなのだ。
それをまず理解しなければ、リスクの取捨選択ができない。

<中長期的リスク>と言うなら、スマートフォンの電磁波は?自動車の排気ガスは?そもそも自動車自体の存在は?農薬は?抗生物質の使用は?アルコール消毒の継続的使用は?地面のアスファルト舗装は?今も継続している煙草の販売は?等々、この世界は見過ごされているリスクだらけだ。
そのすべてのリスクを排除するという思想を実践していて、ワクチンも接種しないのなら分かる。
しかし、他のリスクは見て見ぬ振りをして、ワクチン接種のリスクだけを語るのはナンセンス以外の何ものでもない。
それは、リスクマネージメントでもなんでもなくて、偏執でしかない。

更に言うなら、ワクチン接種のリスクというのは先程挙げた幾つかのリスクに比べてもかなり有意義なリスクの取り方である。
自分がコロナに感染しない確率、重症化しない確率を高めるだけでなく、社会的に感染病を蔓延させないためにも役立つ。
逆にスマートフォンや自動車等は自分の有益性のために社会にリスクを撒き散らしているのだ。
つまり、それらがもたらすのは利己的なリスクだ。
しかし、ワクチン接種は公益的リスクでもあるのだ。
果たして彼らはそこまで考えてワクチン接種を拒んでいるのだろうか?

現在ある感染病のリスクと将来にあるかもしれない未知のリスクをどうやって計るというのだろうか。
ワクチンを接種しない人を差別するなと言うが、少なくともきちんとした区別として、ワクチンを接種しないならマスクを永続的に着用することと海外渡航禁止は最低限義務付けるべきだと思う。
それがリスクを取らない者の責任の取り方だ。