僕がここに書くことは、個人的に強烈に印象に残ったことか、僕の考えが多くの人と違う(または違うだろう)と思ったことが大半。
今日書くことは後者に属する。
はやぶさ2の帰還を日本中が歓喜で迎えたらしい。
僕はテレビを観ないので映像は1秒も観なかったけれど、ラジオでの報道やネット上の報道や絶賛の声に触れた。
実は、僕は以前にもはやぶさを批判している。
<気になるんや>2010年下半期・2010年11月28日付で「はやぶさの<功罪>」という文章を書いている(以下URL参照)。
http://otokodama.com/kininaru2010shimo.html
今も大筋で同意見であるから、これも併せて読んでいただきたい。
はやぶさ及びはやぶさ2を絶賛している人間の思慮の浅さを憂慮している。
今回は歴史的類似性についても考えたい。
それは、コロンブスの大西洋航路発見(所謂アメリカ発見)との類似性である。
そのことが、結果的にある時代における富をスペインやポルトガルにもたらしたかもしれない。
しかし、同時にアメリカから持ち帰った梅毒もヨーロッパに広まった。
同様に、ヨーロッパの疫病をアメリカにもたらし、アメリカ原住民たちの多くが疫病で死んでいる。
これが何を意味するかというと、欲望の拡大と危険性の拡大である。
そして、人はそれを誇らしげに<文明>と呼ぶ。
はやぶさ・はやぶさ2を絶賛している人たちは、もしかしたら地球温暖化防止に賛同しているかもしれないし、核廃絶を唱えているかもしれない。
しかし、はやぶさ・はやぶさ2を称賛するということは、結局は人類が繰り返してきた過ちとしての<文明>を批判していることにはならない。
逆に、<文明>の愚かさを拡張していることに貢献しているだけなのだ。
問題は、それに対して多くの人たちが無自覚だということ。
そういう意味で、人類は、文化的成熟もないまま科学技術という乗り物を得た赤ん坊であり続けているのだ。
宇宙の謎を知りたいというのは、愚かな脳の欲望でしかないのであって、そんなこととは関係なく、僕たちは常に宇宙(と呼ばれる<今ここ>)を体感し続けている。
脳が<知る>というのは部分的なデータの取得でしかなく、今ここに存在すること以上の意味がある訳がない。
僕にははやぶさ2を褒め称えることなんて出来ないし、褒め称える人たちと同じ方向を向くことは決して出来ない。
恐らく人類にとって今最も必要なのは、<文明>の拡大ではなく、深呼吸だ。
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