大切なことなので、まず最初に言っておく。
僕がここで書きたいのは、<自粛警察という言葉のバランス感覚>であって、<自粛警察という存在のバランス感覚>ではない。
それをしっかりと意識した上で。
新型コロナウイルス感染が広がり、緊急事態宣言が出された。
各業界で、<自粛>という名の半強制的営業停止状態が続いている。
その中で<自粛>をしない店舗や個人に対して、誹謗中傷や私的な<自粛>要請やSNS等での所謂<晒し>をする人たちが存在する。
誰が名付けたのか、彼らはネット上で<自粛警察>と呼ばれている。
揶揄や批判や嘲笑を含んだこの呼び方の中に、僕は現代のバランス感覚を見出す。
僕は、個人的には<自粛>しないで営業等を行う店舗や人を支持している訳ではない。
感染の蔓延を止める努力をせずに目先の利益を追うことは、長い目で見たらより深刻な状況を作りかねない。
<自粛>すべきタイミングで、<自粛>すべき業種が活動を停止することは、病気になった人が休むことと同じで大切なこと。
問題は、そこに私的な感情を基にした私的制裁を持ち込もうとする人がいること。
現在の状況が戦時中になぞられられるのは、緊急事態時であることだけでなく、そこで働く人間心理が不変であるからだ。
ただひとつ違うことは、僕たち(少なくとも歴史的認識がある人たち)が戦時中という時代を学んできたということ。
そういう状況下で人間がどういう心理になるかを、書物や映像や証言や体験を通して知っているか知らないかは大きな違いだ。
それと同時に、どんな問題にせよ、インターネット上ではひとつの方向性の意見に対する反動が常にある程度存在し、どちらの勢力が強いにせよ、どちらもほぼ同時に発信される点も大きい。
だから、私的制裁を加えようとする人たちに対して、<自粛警察>と呼んで批判する精神性が多くの人に共有されることになる。
これは、社会が健全性を保っていることの証明だと言える。
それとは逆に、芸能人の政治的発言(政治的発言と一般に呼ばれているけれど、思想信条の表明と呼ぶ方が正しいと僕は思う)に対する批判があることに驚かざるを得ない。
世界中のどんな職業の人間であろうと、自分の思想信条を表現するのは当然の権利(国家が保障した権利や基本的人権というより、言葉を持つ者として当然の姿勢)であるし、その内容を批判するのではなく、表明すること自体を批判する人間は、人権侵害も甚だしい。
こういう状況を放置してはいけない。
即座に禁固刑にすべきだと思う。
このように、平気で人権侵害をしていることに恐らく無自覚である人間が存在しているのは、日本の義務教育が失敗しているということの表れでもある。
こういう状況下では、人間(或いは日本人)の様々な性質が顕著に見えて来る。
つまり、学びの場でもあるということだ。
|