ネット上でこの言葉を初めて知った時、こういう意識や行動が既にちゃんと名付けられていることで人間の可能性を再認識した。
ちなみに、英語では<Pay it forward>という言葉として定着しているらしい。 これはいかにも英語らしい言い回しだと思う。
しかし、この英語の語感は、日本語の<情けは人の為ならず>と同様、<恩送り>とは微妙にニュアンスも根底思想も違うと僕は思っている。
世間に広く知られている<恩返し>という言葉がある。
両親や先生や師匠やその他世話になった人たちに対して、それまでに受けて来た厚情(恩)のお返しをすることである。
つまり、与えられたから、その相手に与え返すということ。
確かに分かりやすい。
しかし、ビジネスライクな関係でない限り、そういう返礼的な<恩返し>を求めている人はどれ位いるのだろうか。
特に、師弟関係のような場合、直接恩返しするのではなく、自分がしてもらったように次の世代に技術やノウハウや知識を伝えることこそ、つまり、その歴史や伝統を継承することこそ、本当の意味の<恩返し>だと考える人も多いと思う。
しかし、そういう師弟関係ともまた違い、自分が誰か(不特定の人々)から受けた厚情(恩)を見知らぬ誰かへの支えや助力として無償で与えることが<恩送り>という言葉の意味だ。
それは、未来の何者かのためでもなく、いつか巡り巡って自分のところへ返って来ることもあるだろうという<遠い投資>でもなく、様々な人たちによって自分の中に芽生え、実った想いを見知らぬ誰かにただただ分け与えることなのだ。
だから、<恩送り>は、冒頭で書いた<Pay it forward>でも<情けは人の為ならず>でもない。
この<恩送り>という言葉を知る前から、僕は体験的にその<恩送り>を受けていた。
かつてアメリカで出会ったジャック・ハーディーさんは、見ず知らずの僕を家に泊めてくれて、うたを学ばせてくれて、食事も食べさせてくれた。
僕が「あなたに何もお返しが出来ない」と言ったら、彼は「僕も若い頃に多くの方の世話になった。もしも君が何かを返したいと思うのなら、次の誰かにしてあげればいい」と言ってくれた。
30年近く前の話である。
他にも、ヒッチハイクをしていて乗せてくれる方の中には、自分もかつて旅をしている時に多くの方にお世話になったから、ヒッチハイカーがいたらなるべく乗せるようにしていると言う方もいた。
これは正しく<恩送り>である。
これは偽善でもなんでもない。
こういう意識を持っている人は少なからずいるし、世界にとってこれほど意義のあることもなかなかない。
しかし、世間では<恩返し>ほど<恩送り>という言葉は定着していない。
ある種の意識は、名付ける(ひとつのパッケージとして提示する)ことによって伝わりやすくなるものだ。
僕も今後<恩送り>という言葉を広めていきたいと思っている。
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