映画「この世界の片隅に」を観に行った。
一度目は愛しい人と二人で、二度目は独りで観に行った。
何度でも観たいと思える稀有な映画。
その二度目を観終わった後、映画館を出たところで、同じ映画を観終わった二十歳前後の若いカップルの女性の方が「最後の方のシーン、グロ過ぎじゃね?」と彼氏に言っていた。
それがどの場面か、僕はすぐに分かった。
と同時に、彼女のこの言葉が僕には強く引っ掛かった。
この言葉に対して、僕の中に浮かび上がった幾つかの感想を羅列してみる。
・この子は広島や長崎の平和資料館に行ったことがないのかな
・この子と同世代だとしても絶対に付き合うことはないな
・彼氏はこの言葉をどういう気持ちで受け止めたのかな
・「グロ過ぎじゃね?」というのは、彼女の内にある言葉じゃなくて、時代の中を漂っている言葉を乱暴に掴んで、投げ捨てただけなんだろうな
・彼女にとってこの映画はつまらなかったのかな
・そういう言葉で切り捨てるみたいに表現する感覚もあるんだな
例えば、彼女が広島や長崎の原爆資料館に行って展示を観終わった後も、やはり「グロ過ぎじゃね?」と言うのかなと考えた。
もしかしたら、言うのかもしれない。
一度考えを組み立てて言葉を発するという感覚より、反射的な言葉を発することに慣れてしまっているだけなのかなとも思った。
それはもしかしたら、悪いことではないのかもしれない。
ただ、反射的な言葉だけでは、きっと届かない場所が沢山ある。
それだけなのかもしれない。
反射的な言葉を使うのは、今に始まったことではない。
それは昔からあったこと。
それでも僕がこの言葉に特に引っ掛かったのは、この時代の宙に漂っている言葉が、あまりにもブサイクだったからなんだろうな。
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