ほぼ毎日のように考え続けているから、この場所にも<直接民主制>について頻繁に書いているような気がしていた。
ところが、ざっと溯ってみると、2010年1月24日付でこの<気になるんや>に書いた<議会制民主主義を再び問う>以来、ちゃんとした形で綴っていないことに気付いて愕然とした。
基本的な考えは既に述べているので、僕の議会制民主主義への批判や直接民主制の提言に大きな変化はない。
しかし、その後も考え続ける中で、より具体的にイメージしたことやより深く考察した点があるので、それを断片的に記す。
そもそも議会制民主主義というものは、流動的な人民の意思(国家においては国民の意思)を反映し得ない。
代議員が選ばれた時点での人民(国民)の大雑把な委託的意思が、政党という変圧器を通して、大なり小なり歪められて表現されるものである。
そこには即ち、人民に対する議会の優越性も含まれている。
こんなものに<民主主義>という冠を戴く資格がある訳がない。
日本国憲法前文を改めて読んで驚愕したことがある。
それは僕の不勉強を露呈することでもあるのだが、その書き出しが実は絶望的なのだ。
<日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し>。
そう、これは議会制民主主義のみを肯定する宣言なのである。
更には、<そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し>という文章まである。
僕はそもそも憲法改正論者である(それについては別記しているし、<日本国憲法前文>論もいずれ書きたいと思っている)が、直接民主制を導入するためには、最低でも憲法の抜本的な改正が必要であるとの認識を得た。
以前も書いたけれど、僕は民主主義そのものを礼賛している訳でもない。
ただ、民主主義でやるというなら、議会制民主主義は論外であり、直接民主制しかないと思っている。
その為には様々な技術的問題がある。
その技術的問題を改善・進歩させるためには、実地的な政治的実験が必要であると僕は考えている。
例えば、共産主義の失敗の原因は沢山あるけれど、その最大の失敗のひとつは、ソ連以前に政治的実験を行っていなかったことだと僕は思っている。
今、日本国憲法をいきなり改正して、議会制民主主義を廃絶し、直接民主主制を導入したところで、恐らく幾つかの決定的な問題点が発生するだろうし、政治的に破綻するだろう。
それは人民(国民)及び世界全体の教育不足もあるし、実地練習不足もあるからだ。
だから、出来れば、人口数万人程度の幾つかの都市で直接民主制を実験的に導入してみて、改善点等を研究してから、国家規模で導入したい。
希望を言えば、日本だけでなく、世界中の数十地点で直接民主制の実地実験を行ってみれば、問題点の質も量も充実するし、世界全体への認知度も高まるので理想的なのだが。
その実験を経て、直接民主制というのがもしも駄目なのであれば、新しい制度を更に研究して産み出せばいい。
最後に、議会制民主主義であれ直接民主制であれ、それが資本主義社会内で行われる時、投票行動が個人の経済的利害によって最も大きく左右されるのであれば、結果的には政治制度などどんなものでも構わないのかもしれない、と絶望的に思うこともある。
経済的利害以外に投票行動を左右する原理を持っている者が常に少数派であるなら、民主主義とは経済至上主義と近似値である。
今回は最近考えていることを断片的にただ提示した。
僕がここで何度も直接民主制について書いている最大の理由は、直接民主制という視点を持つことで、酒場での愚痴や体制批判の姿を借りた金儲け主義の評論家やマスコミが煽る無自覚な投票行動を捨て、現在の議会制民主主義に潜むすべての絶望と闘う姿勢を共有したいからだ。
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