just like a diary

〜 日々の気になることを徒然なるままに 〜


  2014年10月27日(月) AKB48・チーム8のライヴ映像ばかりを観つつ
  幕末・明治の最大のキーパーソンとしての井伊直弼

幕末から明治の時代が語られる時、井伊直弼の名前は必ず悪役として登場する。
僕はそれに対して弁護する気などさらさらないが、それにしても余りにも端役として扱われることの多いこの人物こそが、幕末から明治にかけての最大のキーパーソンなのではないかと最近思うようになった。

まずひとつ目に大切なポイントは、彼は徹底した開国派だったということ。
当時の欧米の悪しきグローバル化(植民地主義)の下で、日本も遅かれ早かれ開国せざるを得なかった。
ただ、それをどのタイミングでするかが問題で、どこかの国と一戦交えて圧倒的な武力を見せつけられてからするのか、巧みな交渉術で平和裏に開国するのか、威嚇を恐れながらなし崩し的に開国するのかは、時の政府(当時は幕府)の想像力と想定力と決断力次第だったと思う。
そこで出て来るのが日米修好通商条約。
歴史の授業では必ず<不平等条約>としてだけ語られるこの条約は、確かに不平等ではあるけれど、実はこの条約を締結したことによって、後の近代化による富国強兵政策までの時間を稼ぐことが出来たという見方も出来る。
欧米のどこかの国の植民地、もしくは、欧米の列強に分割された植民地、もしくは、欧米の事実上の植民地にならずに済んだのは、この<不平等条約>が時間稼ぎをしてくれたからではないか。

ちょっと脱線する。
その後の日本の歩みを見る時、果たして植民地化されなかったことがよかったかどうかは分からないと僕は思っている。
植民地化された後に独立運動を起こすことで、多くの血は流れるけれど、より自由で民主的な国家を目指す気風が国民に備わったかもしれないとも思う。
そのことと、植民地政策を受ける過酷さを引き換えにすべきかどうかは難しいし、今の時点から観ている歴史ではあるけれど。

本題に戻る。
僕が言いたいのは、だから日米修好通商条約を締結したことは歴史的に見てよかったというのではなく、その当時想像されていたほど、結果的に日本にとって最悪の条約ではなかったということと、この条約を改正するために後に日本の外交的手腕が著しく上達したという事実である。
つまり、井伊直弼が残した日米修好通商条約という<壁>は、日本が政治的に近代化するために大いに役立ったという見方も出来るということ。

彼が行った安政の大獄も同様の見方が出来る。
尊皇攘夷を唱える者、そのための活動をする者、そして、無実の者まで多くの犠牲者を出したのが安政の大獄と呼ばれる大粛清。
この出来事だけを取り上げれば酷い話だけれど、その結果は逆に火に油を注ぐ形になり、井伊直弼自身が桜田門外の変で斃され、幕府の大老が暗殺されるという権威の失墜が、次の時代の始まりを告げるきっかけになった。
更には、その後、太平洋戦争終戦まで続く、時の権力者へのテロリズムの時代の幕開けでもあり、明らかに時代を転換させる引き鉄になった。
それ以前とそれ以後は、明らかに違う心象風景の時代になるのだ。
つまり、大久保利通でも西郷隆盛でも桂小五郎でも伊藤博文でも坂本龍馬でもなく、幕末・明治で時代を画する人物を挙げるとするなら、井伊直弼ではないかと僕は思うのだ。

もうひとつ。
彼が死後も大いなる影響力を示している出来事がひとつある。
それは、明治維新の始まりでもある鳥羽・伏見の戦いである。
譜代である彦根藩が早々に幕府を裏切ったのは、時勢を読むのに鋭かったからだけではなく、官軍に義があると考えたからでもなく、水戸藩の浪士たちによってかつての藩主である井伊直弼を暗殺されたという因縁が大きかったと僕は考える。
時代の趨勢は官軍にあったとしても、緒戦をどちらが勝つかで流れが変わっていた可能性もある。
歴史に「もしも」はないが、だからこそ必然的に彦根藩の裏切りがあり、他藩の追随もあったのだと思う。

幕末史の本を読んでみても、井伊直弼という人物像が実は僕にははっきりと見えて来ない。
茶人でもあったという彼は、ある意味で奇怪な存在である。
後の歴史を見て彼を評するなら、<スターリンになれなかった男>とでも呼べばいいのだろうか。
先程も幾人かの名前を挙げたが、幕末・明治の志士たちは数多いるけれど、彼らそれぞれの代わりは誰か他の人間が務めたと思われるが、井伊直弼はある意味で孤高の存在だったのではないか。
だから評価されるべきだというのではなく、だからしっかりと捉え直すべきだと思う。


  2014年7月27日(日) 雨が上がった途端、蝉が猛烈に鳴き出した
  「肴はあぶったイカでいい」の<〜でいい>について

八代亜紀の「舟唄」といううたがある。

 お酒はぬるめの燗がいい
 肴はあぶったイカでいい

この出だしの2フレーズだけで、登場人物の世界観を見事に表している、非常に技術力の高い歌詞は、さすが阿久悠氏だと感じさせられる。
しかし、それは飽くまでもプロの作詞家としての技術力に対する評価であって、歌詞の内容に対する僕の個人的な価値判断とは全く別のものだ。

僕がこのうたを最初に聴いたのは中学生の頃で、酒にまつわる世界観を充分に理解していたとは言い難いが、それでもそれ以来ずっと引っ掛かってきたことがある。
それは、「肴はあぶったイカでいい」の<〜でいい>という表現である。

これについても先程と同様にふたつの観点から分析できる。
ひとつは、少ない言葉でその世界を的確に表現する技術面から捉えること。
もうひとつは、僕の個人的な価値観から照らして感じたこと。

前者の視点からまず考えてみる。
まず、ここに挙げた2行の歌詞が対になっているというのが重要な点である。
1行目は、<が>という限定的な意味を表す助詞を使うことによって、登場人物がある種の物事に<こだわる>性質だということを示している。
しかも、示されているのは<ぬるめの燗>という特殊性を持った言葉であり、この言葉を1語使うことによって、描かれていない<熱燗>との対比を明確にしている。
最小限の情報を示すことにより、他の幾つもの情報を想起させるという点で、この歌詞は1行だけでも恐ろしく技術力の高い歌詞である。

では、2行目が1行目とどう対になっているかというと、1行目の<が>という限定的な表現から、2行目は一転して<〜でいい>という譲歩の表現に変わっている点である。
1行目と同じニュアンスを伝えたいなら、「肴はあぶったイカがいい」と、ここも<が>を使うはずである。
しかし、この歌詞では敢えて<〜でいい>と変化させている。
ここてで大切なのは、<変化させている>ということである。
つまり、1行目だけを読むと、<こだわり>の強い頑固な性格の登場人物が想像できて、2行目も同じ表現を使えばそれが強調されるだけのことである。
ところが、2行目で譲歩の表現を使うことによって、ただこだわりが強いだけではなく、譲ることも出来る余裕がある人物像が浮かび上がる。
性格に幅が出来る。
この歌詞は、たった2行で、この人物の性格をかなり浮かび上がらせることに成功している。
それだけでなく、この登場人物が酒好きなことやある種の通好みであること等も情報として織り込まれている。
これだけの技術力の高さを示す歌詞はなかなかないというのが、僕の正直な感想だ。

ところが、これだけ絶賛しながらも、僕は個人的にはこの歌詞が好きではない。
共感しない。
何故か。
端的に言うと、<〜でいい>という表現が嫌いだからだ。
<〜でいい>という表現を僕はここまで譲歩と呼んでいたし、一般的にはそう捉えられていると思うが、僕は個人的にはこの表現を<傲慢な譲歩>と呼んでいる。

例えば、何人かで中華料理屋に行って、なんの制約もないのに「俺、チャーハンでいい」という奴や、喫茶店で「わたし、コーヒーでいい」という奴に僕は違和感を覚える。
その<〜でいい>は何を譲歩しているつもりなのか。
もうひとつ、例えば。
客「中華丼ください」
店員「すみません。中華丼は今日具材を切らしてしまって出来ないんです・・・」
客「じゃあ、チャーハンでいいです」
これは間違いなく譲歩である。
中華丼からチャーハンへの譲歩である。
ここにあるのは、自分の第一選択から第二選択への譲歩なのだ。
しかし、誰も何も制約を設けていないのに「チャーハンでいい」と言うのは、チャーハンに対する軽侮でしかないと僕は感じる。
それが、その人の中で「手早く出来るものでいいから」とか「餃子とか春巻とかも注文する財力はあるけど、今日はチャーハンだけで」とか「それほどお腹も減ってないけど、友人に連れて来られたから何か注文しないと悪いし」とか、そういう実際には言葉にしない個人的な条件を踏まえた上での譲歩だとしても、表面に表されている言葉が傲慢でしかない時、それは傲慢だと受け取られても仕方ないし、そういう理由があるとしても、他の表現を選ばずに<〜でいい>と表現してしまうこと自体、傲慢であるとも言える。
「チャーハンをください」ではなく、「チャーハンでいい」という表現を選んだ時点で、<譲歩してやっている>という無自覚な傲慢さが露呈しているのだ。
敏感すぎると思われるかもしれないが、僕は中学生の頃もそう感じていたし、今も同じ様に感じている。

再び技術論に戻るなら、その<傲慢な譲歩>、或いはもっと正確に言えば、その<無自覚で傲慢な譲歩>も含めて、この歌詞の中でその登場人物の性格付けとして表現しているのだとしたら、僕の阿久悠氏を更に評価したい。
しかし、それを評価した上でも、やはり僕はその登場人物の<傲慢な譲歩>或いは<無自覚で傲慢な譲歩>を好きになれない。
つまり、この歌詞が表現している世界観を好きになれないのだ。
<あぶったイカ>がどれだけ美味しかろうと、どれだけ日本酒の肴として素晴らしかろうと、「肴はあぶったイカでいい」などと言う奴とは、僕は金輪際酒を酌み交わしたくない。

さて、古いうたを持ち出してまで僕が伝えたかったことは何か。
蛇足中の蛇足として語るなら、歌詞とはそれほどまでに繊細で微妙なものだということ。
ほんのひとつの助詞の使い方や単語の選び方で決定的にその質が変わる。
ほとんど同じ様な内容を伝えようとしている歌詞でも、伝わり方が全く違ってくることもある。
大切なのは、作り手がそれをちゃんと認識して書いているかどうかであり、受け手にそれを聴き分けられる能力があるかどうかだ。


  2014年7月18日(金) 久し振りに抹茶を飲んでみた
  <全席禁煙>の弊害(7月22日・改訂版)

先日乗った新幹線が<全席禁煙>だった。
僕は煙草を吸わないので、乗る前はそれに関しては大した感慨もなく、単純に選べる車両が多くなったと思っただけだった。
しかし、実際に乗ってみると、禁煙車両と喫煙車両が分かれている列車よりも、非喫煙者にとっては環境が遥かに悪化していることに気付いた。

まず、<全席禁煙>と<完全禁煙>の違いから確認したい。
<全席禁煙>というのは、車両内はすべて禁煙であって、それとは別に車内に<喫煙スペース>というのが設けられている。
<完全禁煙>という場合は、その<喫煙スペース>もなく、飛行機の機内と同じと考えられる。

結果的に、その徹底性のない<全席禁煙>が、非喫煙者にとっては悪影響を及ぼしている。
禁煙車両と喫煙車両が分かれていれば、ほぼ間違いなく禁煙車両に乗っている乗客は煙草を吸わない。
ところが、<全席禁煙>だと、自分の隣りの席の乗客は喫煙者の可能性がある。
つまり、列車に乗っている間に、隣りの乗客が<喫煙スペース>で煙草を吸って戻って来る可能性があるということだ。

喫煙者は気付いていないかもしれないが、<喫煙スペース>で体に纏わり付いた煙は、少なからず座席まで運ばれて来る。
更に、喫煙後の呼気からはかなりの煙が放出されている。
過敏と思われるかもしれないけれど、非喫煙者は特に意識していなくてもその煙をはっきりと感じてしまう。
これは正直言って不快以外の何物でもない。
ちなみに、今回僕は隣りの席の乗客からそう感じた訳でなく、<喫煙スペース>から帰って来た前の席の男性からそれを感じた。
それくらいはっきりと分かるものなのだ。
途中で乗って来て僕の隣りに座った乗客からは、乗って来た瞬間に同様のことを感じた。
きっと列車に乗る直前まで煙草を吸っていたからだと思う。

この状況は、今までのように完全に分煙化していれば防げたことだし、本気で禁煙化をするなら、<喫煙スペース>を車内からも駅構内からも排除して、<完全禁煙>にするべき。
現状の<全席禁煙>は、喫煙者にとっても非喫煙者にとっても弊害しかない。


ここまでが改訂版以前の文章。
<全席禁煙>は<百害あって一利なし>的な趣旨で書いた。
<全席禁煙>は、単純に禁煙化の流れと喫煙者に対する譲歩の折衷案的なものだと捉えていた。
それは大きく外れてないと思うけれど、この文章を書いた後に、それだけではないことにも気付いた。
喫煙者と非喫煙者が同行する場合、<全席禁煙>で喫煙スペースがある形が、やはり折衷案的に便利だということなのだろう。
でも、喫煙スペースを作る時点で、喫煙者への配慮の方が大きいと僕は考える。
長距離の旅客機も完全禁煙である今、喫煙者を新幹線に呼び込もうという意図もかなり含まれているのではないだろうか。