小保方晴子という人物が話題になっている。
彼女については様々な角度から語られているが、ここでは僕が気になった1点に絞って考えたい。
それは、STAP現象を発生させる<コツ>について。
先日4月9日に行われた小保方晴子の理化学研究所の調査に対する不服申し立てについての記者会見の全編動画を観た。
そこには、人間の醜さや誠実さや傲慢さなどが入り混じっていて、ひとつの人間劇を見ているような興味深さがあった。
ちょっと脱線するが、たまたま同時期にシェークスピアの「アントニーとクレオパトラ」を読んでいただけに、そこに描かれている人間の愚かさや滑稽さや現金さと重ね合わせて、より一層劇場での出来事のように見えた。
それはそれとして、ひとつ気になったのが先程も挙げた<コツ>という言葉。
記者会見の中で発せられたある女性ジャーナリストの質問を要約すると、STAP現象が疑われている現状、そして、STAP細胞を世の中の立てたいという想いがあるなら、小保方晴子が言うところのちょっとした<コツ>というのを公開してはどうか、というもの。
もしかしたら、この記者会見を観た多くの方はこの質問者に同意しているのかもしれない。
この質問の裏には、「あるなら公開したら。そんなもの初めからないから公開できないんでしょ」という意地悪な予測がはっきりと含まれている。
ここでは、その<コツ>の実際の有無は問わないし、僕にとってはそれはどちらでもいいこと。
もしも、小保方晴子が単に自分の無実を証明したいだけなら、それが近道なのかもしれないと僕も思う。
しかし、僕は、逆の在り方、小保方晴子の在り方を支持する。
ここで、話はきちんと脱線する。
羽生善治という棋士がいる。
まだ現役棋士ではあるが、既に将棋史に残る数々の記録を打ち立て続けている棋士。
彼が言うには、将棋の詰みの形は八百通りに分類できるらしい(この発言は僕の記憶にあり、今は検証できない)。
将棋を知らない方に簡単に説明すると、将棋というのは相手の王将を詰みという形に持っていくゲームであり、その詰みの形がきちんと類型化できているなら、そこから逆算して詰みの形へと持っていくのに有効である。
ところが、詰め将棋の本はこの世に数多(あまた)存在しているけれど、ほとんどの場合、その詰みまでの手数(3手とか5手とか、長いものであれば最長は1525手!)か難易度によって分類されているだけである。
今まで誰もその八百通りという分類を目にしたことがない。
しかし、羽生善治は八百通りに分類できると言うのである。
もしも、その八百通りの分類を本にして出版してくれるなら、僕は5000円くらいまでなら出して買う。
そして、多くのアマチュア将棋指しだけでなく、恐らくほんどのプロの棋士もそんな本が出版されたら買うはず。
しかし、2014年4月現在、そんな本は存在していない。
僕が羽生善治なら、現役時代には決して出版はしないだろう。
引退したら出版するかもしれない。
それは、その詰みの分類(これこそが<コツ>)を知っているのが自分だけなら、それは間違いなく対局する上で有利だからだ。
これを将棋界のために、或いは子供たちのために、今公開しろと言われたらどうだろうか?
さて、本題へ戻る。
僕が言いたいことはもう伝わったかもしれない。
小保方晴子の言う<コツ>というのが存在したとして、それを公開しろと言われて簡単に公開できるものではないと何故想像できないのか。
その<コツ>こそが、もしかしたら彼女の科学者としての生命線かもしれないし、その<コツ>が何億円、何十億円、何百億円の価値を生み出すかもしれないというのに。
彼女が言うように、最終的に世の中の役に立つというのが嘘偽りない想いだとしても、今その<コツ>を公開することによって、他の科学者がその<コツ>またはその<コツ>の類型を利用しすることにより、小保方晴子という科学者が無価値になるとしたら、それは一個人としてかなり恐ろしいことではないだろうか。
ここまで想像力が及ばないなら、上記の女性ジャーナリストはジャーナリストの看板を下ろすべきだと僕は思う。
何度も書くが、僕はここでSTAP細胞の存在の有無も<コツ>の有無も問うてはいない。
ひとりの人間が別の人間に何かを問い掛ける時の想像力の問題を問うているのだ。
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