just like a diary

〜 日々の気になることを徒然なるままに 〜



  2012年6月2日(土)握手会&SAEのライヴ前日
  必要とされているということ〜今出舞の言葉から思ったこと〜

「最後に訊きたいことがあるんですけど、いいですか?」
彼女がこの最後の場面で、ファンのみんなに一体何を訊きたいというのか、観客は声を潜めて待ち構えた。
勇気を振り絞るように一瞬の間をおいて、彼女はいつものはにかんだようなクシャっとした笑顔を見せた。
そして、早口でこう尋ねた。
「私は、SKE48に必要な存在になれてましたか?」
間髪入れず、客席からは「必要だよ」の大歓声。
それに続いて、「ありがとう」の声、声、声。
その声を聴いて、彼女は自分の泣き顔を花束で覆った。
これは5月31日に行われたSKE48・今出舞の卒業公演の最後の挨拶での一場面。

AKB48を始めとする48グループには、研究生という制度がある。
他の仕事で劇場公演に出演できない正規メンバーの代役というのが、彼女たちの主な役割である。
それは、彼女たちにとってファンの方々に名前や顔を覚えてもらうチャンスでもあり、いつか正規メンバーへ昇格するためのアピールの場でもある。
しかし、あくまでも代役であることに変わりはない。
正規メンバーが戻って来たら、その場所はいつでも明け渡さなければならない。
彼女たちに本当の意味でのポジションは存在しない。
そんな彼女たちが、「自分は本当に必要な存在なのか」と考えるのは無理もないことである。

今出舞は、SKE48の研究生として、1度も昇格することなく、2年半を過ごした。
その間に後輩たちが次々と昇格していくのを目の前で見てきた。
そんな彼女が、足の怪我と留学という理由で卒業公演を迎え、最後の最後に「私は、SKE48に必要な存在になれてましたか?」という質問をファンに投げかけた。
彼女は、MCも上手く、後輩への気配りも濃やかで、周りの状況を広く見渡せる視野も持っていて、ファンからも愛されている、とても頭がいい女性である。
そんな彼女が、恐らく会場にいる全員に「YES」と答えてもらえると分かっている状況で、敢えてこの質問を投げかけた意味を考えると、胸が痛くなる。
実際に、僕はその姿を観て号泣した。

誰かにとって、或いは何かの組織にとって、必要な存在であると認められること。
そのことが人生を支えることがある。
いや、そのことが人生の意味のほぼすべてだと感じている人もいる。
家族にとって、恋人にとって、生徒にとって、患者にとって、クラスにとって、チームにとって、職場にとって、教団にとって、国家にとって、等々。
その対象の規模は様々だろうけど、<必要とされている>ことを自分のアイデンティティーとさえ感じている人はきっと少なくないと思う。

ただ必要とされているということが重要なのか、それとも特定の<誰か>もしくは<何か>にとって必要とされていることが重要なのか、その人によって異なるだろう。
しかし、いずれにせよ、こういう精神の在り方は、時としてとても痛みを伴う。
今出舞は、卒業に当たって、初めて、そして敢えて、その痛みをファンや仲間の前に晒け出した。
それは、最後の最後に1度だけ、自分を甘やかすことを許した彼女の姿だったのだと僕は思う。
尋ねる前の、一瞬のはにかんだ笑顔の意味を僕はそう解釈している。
そして、分かり切っていた答えを実際に声として聞いたことで、彼女は2年半の苦しい日々をすべて美しい思い出へと昇華させ、卒業することが出来たのだと。

そんな彼女の姿を見て、自分自身のことを考えさせられた。
思えば僕は、敢えてそういう問いを発しないようにして生きてきた気がする。
自分が<誰か>或いは<何か>に必要とされるかどうかではなく、自分が<誰か>或いは<何か>を必要としているということがすべてだと考えるようにして。
それは、裏返してみれば、必要とされているかどうかという不確かな状況(いつ失うか、いつ変わるか、いつ裏切られるか、いつ飽きられるか、分からない状況)によって傷つきたくないという心理の表れなのかもしれない。
逆に、たとえ拒否されようが、疎ましく思われようが、いつまでも手に入らなかろうが、自分が<誰か>或いは<何か>を必要としているという想いを抱き続けるのは、自分だけの問題だから。
そう考えれば、僕はやはりとても臆病なのだろう。

そんなことを、今出舞の卒業公演を観て思った。
最後に、ひとこと。
卒業おめでとう。


  2012年5月4日(金)会場抽選2連敗
  関西人から見た東京の蕎麦の出汁に対する固定観念への疑問

実は、これは僕が長年温めてきた疑問。
東京にいる関西人の友人たちに尋ねれば解明するのかもしれないと思いつつも、ずっと放置していた。
今朝、たまたま蕎麦を食べたので、その問題が再び僕の中で首をもたげた。
予め断っておくけど、この項を書くに当たって、便宜上、温かい蕎麦のスープは<出汁>、冷たい蕎麦をつけるものは<つゆ>と表現し、鰹節や昆布から煮出したスープの素を<ダシ>と呼ぶことにする。

インターネットが発達した情報化社会になる前、新幹線は開通していたものの、今ほど東京と大阪を頻繁に行き来することが一般的ではなかった時代のこと。
大阪生まれ、大阪育ちの僕が、大人たちから教えられた<東京>というものに関する常識のひとつに、<東京の蕎麦(うどん)の出汁は黒い>ということと<東京の蕎麦(うどん)は辛い>というものがあった。
そう語る大人たちの言葉には「まずい」というニュアンスが含まれているのだが、東京を知らない幼い日の僕は「そういうものか」と思うしかなかった。

僕が東京に移住したのは23年ほど前だが、東京に来て初めて温かい蕎麦を食べた時の僕の印象は、<甘い>というものだった。
それ以来、今まで何杯もの蕎麦を食べてきたけど、逆に<辛い>と感じたことなど一度もない。
これが僕の疑問なのだ。

僕は大阪生まれだけれど、うどんより蕎麦派で(もっと言うなら、ラーメン派だが)、冷たい蕎麦をつゆにつけて食べる方を好む。
それでも、たまに寒い日に温かい蕎麦を注文すると、がっかりすることが多い。
それは出汁が黒いからでも辛いからでもなく、僕にとっては甘過ぎるからだ。
もっと正確に表現するなら、単に甘みを感じるのは構わないけれど、そこに<たるい>という要素の加わった<甘ったるい>という味を感じてしまうのだ。
ほぼどこの店でも。
これは、僕にとってほぼ<まずい>と同義語である。
蛇足だが、僕は食べ物も女性も甘ったるいのは好きではない。

これは恐らく出汁を作る際のかえしに含まれるみりんと砂糖のせいかと思われる。
関西の蕎麦(うどん)では、かえしがダシを邪魔しないことに重点を置かれているため、かえしの甘ったるさが気にならないだけなのかもしれないが、僕には未だにその答えが分からない。

しかし、僕が今問題にしているのは、関西と関東の味の違い自体ではない。
何故、かつて大阪の大人たちは<東京の蕎麦(うどん)は辛い>と僕に教えたのかということだ。
確かに出汁の色は東京の方が濃い。
しかし、僕に言わせれば、それでも黒いというほどではないのだが、もしかしたらその色彩が、醤油との連想から<辛い>という印象を与えたのだろうか。
それとも彼らは本当に味覚として<辛い>と感じていたのだろうか。
だとしたら、僕が<甘い(甘ったるい)>と感じているこの感覚とこれほど遊離した感覚はない。
僕の味覚が狂っているのだろうか。
この疑問に共感していただける関西の方はどれくらいいるのだろうか。


  2012年5月2日(水)とめどない朝勃ちに戸惑う
  <現実的>という言葉の魔の手

最近ある本を読んでいて、そこでしきりに使われているこの言葉に違和感を覚えた。
以前にも書いたけれど、僕が自分の中で最も重要視しているのがこの<違和感>という感覚。
それは、自分にとって何かものごとを掘り下げて考えるキッカケになる感覚。
今回その触覚に触れたのが、この<現実的>という言葉。

あまりにもありふれた言葉で、今まで意識していなかったけれど、これはとても<政治的>な言葉なのだということに気付いた。
それはどういう意味かと言うと、抑制的で、調整的で、かつ、さりげなくしなやかに日常に浸透しているという意味で。

例えば、「それが<現実的>な解決方法だ」などと言うと、その正当性を保証され、合理性が際立たされ、他の方法が絵空事か世迷言かのように線引きされてしまう印象を与える。
問題は、実はこの漠然とした印象にあるということにも気付かずに。
これは、印象によるある種の魔法である。
この印象がもたらされるのは、まるで地に足をしっかりと着けたようなこの言葉の語感そのものからだけでなく、その反対語が<非現実的>であるかのように思われる点にも起因していると思う。
この点が、この<現実的>という言葉の魔法のひとつでもあるのだ。
実は、<現実的>という言葉の本当の意味での反対語(反対の語句)は、<一見、現実的だと思われること以外に起こりうることの総体>であるという認識を持つべきなのだ。
そこには勿論<非現実>も含まれるけれども、それ以外のものも多く含まれている。

先程例示した「それが<現実的>な解決方法だ」という言葉が、意識的に、或いは無意識的に排除しているのは、ドラえもんの四次元ポケットに頼るとか、かめはめ波を一日で習得する等という「<非現実的>な解決方法」だけではなく、発言者の思考能力の範囲で<現実的>ではないと思えるだけであって、何かの工夫や過度な努力や発想の転換があれば、それが<現実>になるようなことまでも含まれているのだ。
喩えるなら、<現実的>という言葉は、陸地をずっと歩いて来て、目の前に海が現れた瞬間に「これ以上は進めない」と宣言するようなものだ。
泳ぎ方を覚えることも、船を作ることも、ましてや飛行機を作ることも考えずに。
つまり、それはある種の思考停止を意味している。
そういう意味で、<現実的>というのはとても便利な言葉であり、それ故にまた<政治的>な言葉であると言える。

この言葉が、日常生活ではなく、もっと大きな場(国家や国際機関など)で使われる時、それは、問題を本質的に問うていない硬直した思想を補助するサプリメントに成り下がっているように見える。
この言葉の持つ硬直性が、プライドを守るために命を失くすとか、国を守って国民を死なせるという本末転倒が起きる原因の一端を担っている(或いは、担ってきた)といっても過言ではないだろう。

乗り越えられなければならないのは、<現実>であり、その前にあるハードルとしての<現実的>という言葉の魔の手である。
足をすくわれないように。


  2012年4月9日(月)ジャンパーを脱ぎ、桜満開
  丼の形

さして重要でもない話。
ただ、時代の変遷を感じる話。

近年のラーメン専門店の急増に伴い、ラーメン自体にも勿論様々な変化が表れているし、店舗の内装や出店のしかた等も多くのヴァリエーションが生まれてきた。
そんな中、僕が最近強く感じるのは、丼の形の変化だ。

かつてのラーメン丼は、横から見ると、上底が広く、下底が狭い台形をしていたものが主流だった。
かつ、器の厚さは比較的薄かった。
それは、丼を持ち上げてスープを飲む際、持ちやすく、かつ重くないような合理的な形状だったはず。
ところが、現在ではこれと真逆の形状をした丼でラーメンを出す店が増えてきている。
いわゆる丼物を出す時に使うような、丸みを帯びた外形で、かつ分厚い器が多くなってきた。
いや、主流は完全に逆転してしまっている。

何故そんな逆転劇が起こったのか。
理由は恐らくひとつ。
多くの人がラーメンのスープをレンゲで飲むようになったからだ。
そうなると、丼を持ち上げる必要がなくなり、どんな形状でも可能になる。
だから、逆に言えば旧式の丼でもよさそうなはずだが、見栄えがいいからなのか、据わりがいいからなのか、値段の問題なのか、その辺りはよく分からないが、丸みを帯びた丼でラーメンを提供する店が多いのは確かだ。

うどんや蕎麦は、元々そういう形状の丼だったのだが、僕から見れば旧式のラーメン丼はそれよりも合理的に進化した形であったように思える。
つまり、今のラーメン丼は、進化というよりも、先祖帰りと言うか、退化に近いのではないか。
深海魚が目の機能を必要としなくなったような、天敵のいないキウイが羽を退化させて飛べなくなったような。

僕はアンチ・レンゲ派であり(そのことに関しては、<気になるんや>2009年上半期・3月16日付<レンゲ問題〜犯人はおまえだ!〜>参照)、スープを飲む時は必ず丼を持ち上げる。
そういう人間にとっては、今主流の丼は非常に扱いにくい。
こういう場面でも、少数派に対する密やかな抑圧は存在しているのだ。


  2012年1月17日(火)カヴァーされた「セイレーンのうた」を聴く
  <風化>を受け入れる姿勢

阪神大震災から17年が経つ。
東日本大震災から10ヶ月と6日が経つ。
<風化>という言葉が頻繁に使われている。
それは主に「<風化>させない」或いは「<風化>させてはいけない」というフレーズの中で使われている。
それは見てくれのいい借り物の言葉ではなく、本当にあなたの言葉なのか。

日々の暮らしの中では、常に新しい出来事が巻き起こり、それに対処しながら人々は生きている。
過去に体験したどんな悲惨さも過去に体験したどんな歓喜も、その記憶を残しつつも新しい悲しみや喜びによって塗り重ねられていく。
生きていくということはそういうことだ。
過去のある地点に留まることは出来ない。

<忘れない>或いは<忘れられない>ということと、<風化させない>ということが全く別なことであるという認識がまず必要なのだ。
<風化>というのは、時と共に必ずやって来るものなのだ。
それを食い止めようという努力は、ミイラの番人として生きるということ以外の意味を持たない。
大切なのは、その出来事の中から<歴史>として何を抽出するかということなのだ。
それは、教訓でもいいし、行動規範の作成でもいいし、耐震性に対する法律の整備でもいいし、災害に強い街作り計画でもいいし、避難訓練の再検討でもいいし、より便利な仮設住宅の設計でもいいし、精度の高い地震予知の研究でもいい。
少なくとも、昨日が今日を経て明日へ繋がる道筋を明確に示すこと。
それこそが、<思い出すこと>よりもずっと大切な具体的な意味での<想い続けること>或いは<想いを続けること>である。

ちなみに、うたうたいである僕たちがすべきことは、その時に感じた<想い>を、何度でもうたとして再現することだ。
<風化>していくことを受け入れつつ、僕たちはそこで感じた<想い>に形を与えて、うたとして運び続ける。
それが憤りであれ、悲しみであれ、無力感であれ、うたによって再現されるその<想い>が、いつの間にか立ち止まっていた人やいつの間にか諦めていた人を動かす、ほんの小さなひと押しにでもなればと願いつつ。