今朝、近所のなか卯で朝定食を食べていた時のこと。
店内のBGMがすごく気になった。
有線放送のいわゆるJ−POPのチャンネルだと思うが、長渕剛が「俺たち島人(しまんちゅ)は・・・」というような歌詞をうたっているうたが流れていた。
それはまさにうんざりするようなうただった。
僕は機嫌よく納豆定食を食べていたのだが、その朝食の味が一瞬にして味気なくなった。
流れてきてしまったものはもう仕方ないから、せめて僕が食べ終わるまでに三木道三の「Lifetime
Respect」や槙原敬之の「どんなときも。」等が流れて来ないことを祈りながら、さっさと食べて店を出た。
もしかしたら、これは客を出来るだけ回転させるためにわざとうんざりするようなBGMを流しているのではないか、とさえ思った。
これは、僕の音楽の趣味がたまたまその店のBGMと合わなかっただけだとも言えるが、BGMに関して無頓着な店があまりにも多いように感じる。
これだけマーケティングについて様々な研究がされている中で、勿論店内BGMにつても研究されているはず。
それなのにも関わらず、適当なBGMが無駄に耳障りな音量で流れている大手チェーン店も多い。
少し話は逸れる。
僕が初めて店内BGMというものを意識したのは、恐らく小学生の頃だと思う。
それは、ミスタードーナツの店内にエンドレスで流れていた「こんにちは、ミスタードーナツ(ミスタードーナツ)♪」といううた。
今思えば、すごくあからさまな刷り込みではあるけれど、ここまであからさまだと逆に潔ささえ感じる。
これはこれでひとつの戦術として成立していると思う。
ジャズ喫茶やクラシック喫茶やロック喫茶など、初めから店内に流れている音楽が好きな人が集まる場所は勿論それでいいし、僕のバイト先の近くにあるラーメン屋は矢沢永吉しか流さないというポリシーでやっていて、そういう店も一度行ったら好き嫌いを選べるのでこれまた潔い。
そうでないならば、聴こえるか聴こえない程度の音でクラシックやジャズやイージーリスニングを流すという、いわゆる無難な選択をするというのもまたひとつのやり方。
けれど、僕が最もいいと思うBGMは、無音である。
人々のざわめき、食器の音や食事する音、あるいは調理する音など、その店そのものが醸し出す音が、最高のBGMになっている店こそが理想的な店だと僕は思う。
うたうたいである僕から敢えて言わせてもらうが、「No music,No life,No thank
you」だ。
音楽が最高なのではない。
最高の音楽が最高なだけだ。
ちゃんと主張があって音楽を流しているのでないならば、音楽なんて要らない。
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