臓器移植法の改正を巡る問題で、宗教観にも関わる問題だからということで、各党が党議拘束を掛けずに衆議院での採決が行われた。
いわゆるA案というのが可決された訳だが、今後の参議院での採決がどうなるかは分からないし、違う案が可決された場合に衆議院でA案が再可決されるかどうかも分からない。
今回の問題だけでなく、いわゆる<ねじれ国会>の問題も含めて、実は衆参両議院という二院制そのものに問題があると僕は思っている。
今回の主題ではないので簡単に書くが、まず、僕は脳死が人の死であり得る訳がないと思っている。
喋らなくても、動かなくても、意思を伝えられなくても、ぬくもりを持って生きようとしている命が<死>である訳がない。
脳死などというものは、医療技術の向上が産み出したまやかしである。
それとは別に、僕は臓器移植というものにそもそも反対である。
いつかもっと医療技術が進歩し、臓器というものが大量に培養可能になって、誰も傷つけずに誰からも臓器の摘出をせずに移植(もはや移植とは呼べないが)が出来るようになった場合のみ、僕は賛成する。
だから、A案もB案もC案もD案もない。
世界スタンダードなんて関係ない。
技術の進歩を人間がすべて受け入れる必要はないのだ。
核兵器の例を挙げるまでもなく、人間が科学技術を進歩させる方向性で生存していることとそれを受け入れるかどうかとは全く別問題として議論されるべきなのだ。
さて、本題に入る。
以前から書いている通り、僕は議会制民主主義に反対である。
政治形態として民主主義を採用するならば、直接民主制しかあり得ないと思っている。
本来なら、すべての法案や予算は代表者が幾つかの案を提出して議論を尽くし、それを国民が直接投票で採決すべきである。
議会制民主主義というのは、ある意味で怠惰な民主主義であり、民主主義を装った寡占政治であるとも言える。
その中でも、二院制というのは慎重審議を装った罠であると僕は思う。
日本は明治時代初期にその政治体制の手本を欧米に求めた。
ゼロから新しい政治体制を作るのが困難だったからである。
しかし、それから100年以上経った今、欧米諸国が政治体制を変えていないからと言って、それが絶対的に正しいなどと言うのは思い込みも甚だしい。
欧米に追随する時代はとっくに終わってるし、最高の政治体制の追求は常になされるべきである。
二院制の最も駄目な点は、両院の採決が対立した場合に、廃案か再可決かどちらかの採決の優先という曖昧な結論を迎える点にある。
<人が三人集まれば政治が始まる>という言葉があるが、ここで大切なのは<三人>という数字であり、それが奇数であるということである。
奇数になればパワーバランスの崩れが必然的に生じるということが重要であり、最終的に多数決が民主主義の宿命であるなら、どのレベルにおいても採決には奇数が不可欠なのだ。
話はちょっと逸れるが、エヴァンゲリオンに登場するスーパーコンピューター「MAGIシステム」というのは3台のコンピューターによる合議制を採用している。
これは重要な点だ。
ちなみに、最近のコンピューター将棋界においても、次の指し手を選択するのにこれに似た合議制システム(コンピューター内コンピューターが多数決で指し手を決める)を採用したコンピューターが好成績を上げている。
閑話休題。
つまり、二院制というのは無駄に時間を食うだけで、実質的には既に片方の優越(日本なら衆議院)に支配されているという不備の多いシステムであり、だから参議院不要論などが出て来るのだ。
かと言って、一院制にすると一党独占の強引な政治に陥るリスクが高い。
僕が思うに、二院制ではなく三院制を採用することによって、多少時間は掛かっても民主主義というものがよりよく機能するのではないか。
その場合の三院目をどうするかという問題であるが、これを国民院とし、つまり直接投票にすればいいのだ。
法案や予算が、衆議院と参議院で意見が一致して可決(もしくは否決)された場合は三院目を必要としない。
しかし、もしも両者で採決が対立した場合、すべての国会審議終了後、衆院側か参院側かどちらの採決を可とするかを国民投票するのだ。
確かに、その分の予算も多少は掛かるだろう。
しかし、国民の声がより反映される訳だし、国民の政治に対する感心も増すだろうし、最終決定権を国民の総体が握っているという意識も大きいと思う。
そうなれば、ある党がいずれかの選挙で大勝したからと言ってそれが必ず国会のすべての採決に反映される訳ではなくなるし、参議院の意味も大きくなる(ちなみに、参議院議員の任期は4年にして2年ごとに半数改選にすべきだと思う。任期6年は長過ぎるし、政治家の新陳代謝が出来なさ過ぎる。ただし、解散なし)。
また、衆議院は議決権の優越ではなく、解散があるということの代償としては、首相の任命における優越だけがあればいいと思う。
これは僕の独自案だが、一般的にこういう改革案の議論はなされているのだろうか?
政治家が本当に政治を志すなら、欧米に政治形態を輸出するくらいの意識が必要なのだ。
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