以前にも取り上げたが、ここにまず憲法25条を記してみる。
【憲法25条】
1.すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2.国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
これも以前書いたが、日本国憲法の最も重要な点はこの条文に要約されていると僕は思っている(ちなみに、憲法前文には問題があると思っているが、それはまた別の機会に書く)。
例えば、基本的人権の尊重も平和主義も国民主権も、結局のところ「健康で文化的な最低限度の生活を営む」ためにはどうすればいいか、ということの具体的な方法を表しているのだと思う。
極論すれば、この条文がなければ日本国憲法は背骨のない憲法だとも言える。
さて、それを踏まえて昨今の解雇された派遣社員の住居問題とホームレスの住居問題を重ねて書く。
今日のニュースでも、神奈川県では住居を失った求職者(主に派遣社員を指していると思われる)に、一定期間の条件付で県営住宅を敷金や保証金なしで提供する(家賃は3300〜4100円取るらしい)という報道があった。
この他にもハローワークが中心になって解雇された(されつつある)派遣社員の住宅問題に対応している。
これは決して悪いことではない。
しかし、これらの措置をしようとしている人たちには、現存しているホームレスは見えていないのだろうか?
これらの住居提供においては、求職活動をしていることが重要な要件のようである。
しかし、もう一度憲法25条を読み返してほしい。
この文章の主語は「すべての国民は」と書かれている。
「すべての求職者は」とは決して書かれていない。
これは、憲法の根本精神に関わる重要な問題なのだ。
今まで各自治体もホームレスを全く支援してこなかったとは言わない。
しかし、今更県営住宅を一部の人の為に提供するとはどういうことか?
これこそ正に差別である。
不景気になったから失業者が増えるのは当然であるが、景気がいいと言われていた時も、空き缶を潰してビニール袋にパンパンに詰めて自転車で運んでいたおっさんたちは実際に存在していたし、ビニールシートで家を作って暮らしている人たちはいたのだ。
彼らは放置されていたというのに。
まるで、癌を予防する為には努力するけれど、既に発病した癌患者は見捨てるようなものだ。
「健康で文化的な最低限度の生活」とは何かというのは憲法解釈の問題になるのだろうが、「健康で文化的」という部分を差し引いたとしても、少なくとも住居があり、最低限の食料があり、最低限の衣服がある暮らしであることは明らかである。
そう考えると、住居を借りるのに敷金や礼金や保証金や更新料などが存在するのは論外であり、生活保護費で住居費と食費は最低でも賄われなければならないと考えると、住居費は国(地方自治体)が上限を設定すべきだ。
あるいは、もっと根本的なことを言えば、住居はすべて国(または地方自治体)が提供すべきだ。
それ以外の場所に住みたいなら、超高額な税金を払わなければならないようにすればいい。
相続税も超累進課税にすればいい。
土地や現金を相続できるのが当たり前のように思われているが、そんなものは持てる者たちが考えた自己防衛策でしかないのだから。
現在行われている措置が暫定的に何人かを救えるなら、それはそれでいい。
しかし、それはあくまでも暫定策であり、根本的な住環境改革がなされなければ、この国自体が違憲状態であると言える。
ちょっと話は逸れるが、解雇になったある派遣社員がインタビューに答えて「手取り14万円で、家賃が6万円のところに暮らしていたが、仕事がなくなったので実家に帰る」と語っていた。
ナンセンスだ。
あまりにもナンセンスだ。
何がナンセンスかと言うと、収入に対する住居費の割合が異常なのだ。
けれど、多くの都市生活者が似たような状況を受け入れているのであり、やはり異常なのだ。
これが異常だと気付いていない、もしくは気付いているけど馴らされている状況は、この国(もしくは多くの先進国と呼ばれる野蛮な国々)の最も重い病だし、この国の教育の貧しさを露呈している。
こんな状況であるからこそ、今、ある意味でチャンスだとも考えられる。
この国の仕組みを根底から変える為の。
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