just like a diary

〜 日々の気になることを徒然なるままに 〜


  2005年12月31日(土) 「戦国自衛隊」を観ながら年は暮れる
  「最小限の被害に抑えた」

本当は昨日書こうと思っていたニュース。

イラク北部で道路脇に爆弾を仕掛けようとしていたテロリストに対して、アメリカ軍が200キロ爆弾を2発投下。テロリストと民間人を含めて10人程の死者が出たという。
このニュースは昨日の朝、テレビ朝日でほんの小さな扱いで報道された。
この空爆に対してのアメリカ軍のコメントが今日のテーマ。

「最小限の被害に抑えた」とはどういうことか?
そんな風にして殺されるひとつひとつの命は、「最小限」とひと言で片付けられるものなのか?
たとえば、ニューヨークの路上でテロリストが爆弾を仕掛けようとしていても空爆するのか?
そして、アメリカの民間人がテロリストと一緒に死んでも「最小限の被害に抑えた」とコメントするのか?

このコメントは、イラク人なら民間人を殺しても構わないという差別意識以外の何ものでもない。
これは、アメリカというのは、結局そういう差別意識を持った殺人を平気で正当化しようとする最悪な国であることを証明している事件である。
太平洋戦争中、「鬼畜米英」という言葉があったが、正に「鬼畜アメリカ」ではないのか?
しかし、これはほんの小さなニュースとしてしか扱われていない。
もし、これがアメリカ以外の小国の行為だとしたら、経済制裁などを含めた様々な措置がとられるような重大な問題であるはずだ。
日本人よ、あまりにも鈍感過ぎないか?
もしくは、あまりにも許し過ぎていないか?
もうアメリカとは訣別してもいいんじゃないのか?

2005年の終わりを、あえてこのテーマで締め括る。
ここで書くことが「声」なのかどうかは分からないが、うたうことも含めて「声」を上げ続けることを誓う大晦日である。


  2005年12月30日(金) コインランドリーで服を盗まれた
  「無職」

今日、コインランドリーで洗濯した後、乾燥機にかけている間に服を盗まれた。
と言っても、使い古しのシャツとパンツ、スエット上下とトレーナー1枚、タオル2枚だけ。
大した被害でもないし、逆にどうしてそんなものを盗んだのかも分からないくらい。

でも、一応被害届を出しておこうと思って、警察に連絡して調書(?)を取ってもらった。
その時、僕が「なんでこんなものを取ったのか、分からないです」と言うと、警官の一人が「最近フリーターとか多いから、こういう事件もあるんですよ」と答えた。
そう、この警官は明らかに<フリーター>に対して差別意識を持っている訳だ。
犯人が誰だか全く分からないのに、<フリーター>ならこんな事件を起こしかねないと思っているらしい。

その後、僕自身の職業を聞かれて、「アルバイトです」と答えたら、調書(?)に<無職>と書かれた。
そうか、アルバイトは<無職>か、と改めて実感させられた。
僕は日々口を糊するためにちゃんと仕事をしているが、それでも公的には<無職>ということになるのだ。
つまり、あの警官が差別意識を持っている<フリーター>である。
その時、僕と同様に彼もきっと複雑な心境になったと思う。

彼は最後に「パトロールを一層強化し、犯人が捕まり次第すぐにご連絡します」とはりきって言ったが、僕はすぐに犯人が捕まるとも、彼らがこの程度の事件のためにパトロールを強化するとも思っていない。
ただ、色々な意味ですごく勉強になったことだけは確かだ。


  2005年12月27日(火) 仕事納め
  クリスマスディナー

僕は美味いものを食べると、時々「王侯貴族みたいやなぁ」と心の中で呟いたり、声に出したりすることがある。
これは手作りの料理やけれど、同じものを店で食べたらどれ位かかるのか、とふと考えたりした。
居酒屋で、中華料理屋で、イタリアンレストランで、寿司屋で、今ではそんなに大金も払わずに食べられるものも、昔は庶民は食べられなかった。
昔の殿様や大名よりも、きっと僕らの方が豊かな食生活をしてる。
もしかしたら、その代償として世界中にあほみたいな数の核兵器があるのか、と思ったりもするのだが、あほみたいな数の核兵器の脅威に晒されながら、なおかつ飢えに苦しんでいる人たちもいる。
ひと言で「幸せ」と言うには、色んな意味で余りにも贅沢なディナー。
そんなことを思いながらも、すごく美味しかったことも事実。

リクエストはジョン・レノンで「Happy Christmas(War is Over)」をよろしく。






  2005年12月24日(土) イヴもバイト
  「電子レンジにいれたり、火にかけたり、高温の場所には置かないで
  ください。破損したりケガをする恐れがあます。」

これ、何の注意書きと思う?

これは「PINK LADY LAST TOUR」のDVDオリジナルUFO BOXの取扱説明書の注意書き。
しかも太字で書いてあった。
あんなもん、なんのために「電子レンジに入れたり、火にかけたり」するの?
最近は色々うるさいから、注意書きもどんどん長文化してるけど、さすがにこれは無駄じゃないかな?
それとも、この「UFO BOX」でチキンラーメン作ったりする人がいるのか?

ちなみに、これはクリスマスプレゼント用。


  2005年12月12日(月) 今年の一字が「愛」だという
  カディッシュ

今日、久し振りに母親に会った。
母親の記憶によると10ヶ月振りらしいが、僕は覚えていない。
母親から時々電話が掛かってくるが、多くの場合僕は居留守を使う(僕はナンバー・ディスプレーに加入している)。
時々母から留守電にメッセージが残されているが、聞いたり聞かなかったりで、すぐ消去する。
ここまで読めば「なんて冷たい奴なんだろう」と思われるかもしれないが、その通り。
僕は誰に対してよりも、母親に対して一番冷たいと自覚している。

子供の頃にひどい虐待を受けたとか、母親が僕を捨てたことがあるとか、キッチンドランカーだったとか、異常な教育ママだったとか、そういったことは一切ない。
彼女はごくありふれた母親だったと思う。
けれど、僕は母親が嫌いなのだ。
これはどうしようもない事実である。
この言葉が正確かどうかも実はよく分からない。
<僕の母親>が嫌いなのか、<母親という存在>が嫌いなのか、<母性的なもの>が嫌いなのか、僕自身も区別がつかない。
ひとつ言えることは、世間の多くの母親がそうなのかもしれないが、僕の母親も子離れ出来ないのだ。
僕(あるいは僕の妹)という存在によって、自分の存在を支えているのだ。それは夫(僕の父)に愛されなかったということによって、より大きな反動をもって表れているのかもしれないが。

母親がいるということで、僕は息苦しくなり、憂鬱になり、脱力する。
だから、今日も母親が僕の部屋を数時間訪ねてから帰った後、僕はすっかり<消耗>していた。
体力的にではなく、精神的に、だ。
繰り返し言うが、彼女はおそらくごくありふれた母親だ。
世間から後ろ指差されるようなことはきっとしていない。
僕と一緒にいる時間にも世間並みの母親が言うようなこと(結婚のこと、将来のこと、厄年のこと等々)を喋り続けているに過ぎない。
けれど、それを黙って聞いていると、失踪してしまいたくなるような気持ちになるのだ。
殺したいとまでは思わない(けれど、僕は親を殺す子供を責める気にはなれない)。
けれど、この<母親>のいない世界へ逃げたいとは思う。
「親孝行したい時には親はなし」と言うが、傲慢かもしれないが、僕(僕の妹)が生まれたということだけで、そして、こうして生きているというだけで充分に親孝行だと思っているので、僕はこれ以上何をするつもりもない。
自分がいつか親になった時にも、子供には何も望むまいと思っている(男だからだろうか)。

これも一種の「マザコン」なのかもしれないが、近いうちにギンズバーグの「カディッシュ」でも読んでみたいと思っている。


  2005年12月6日(火) 眠り病のように眠る
  日常という名の<教育の現場>

先日、ギターを持って地下鉄に乗ろうとした時の出来事。

電車に乗ろうとしたら、休日の朝にも関わらず車内はそこそこ込んでいた。
入口付近に女子高生二人組みと30代位の母親と4、5才の男の子がいた。
僕はギターを肩から提げていたので、窮屈な態勢で乗り込もうとしたのだが、女子高生も親子連れも道を開ける気配がない。
しかも、親子連れの方は母親がしゃがみこんでいて、入口を完全に塞いでいた。
なんとか乗り込んだ後、僕はその親子を暫く観察していていくつかのことに気付いた。

母親はしゃがみこんで、子供に対して「ポケットの中のチョコレートを触ってたらべちゃべちゃになるからやめなさい」と優しい声で注意していたのだった。
そう、彼女はどこで学んだのか、自分で考えたのか、<子供の目線>で注意していたのだ。
この僕でさえ子供を叱る時は<子供の目線>でという話は知っている。
彼女はそれを忠実に実行していたのだろう。
しかし、しかしである。
場所は地下鉄の車内、しかも入口の前なのだ。
入口を塞ぐようにそういう姿勢でいたら、他の乗客に迷惑が掛かるとは思わなかったのだろうか?

これが<教育の現場>なのだ。
何気ない日常のひとコマに、子供の生き方を左右するような<教育>がなされているのだ。
その子供にとって、母親は自分の目線に立ってくれる優しい人であり、他人は気にしなくてもいい存在としてしっかり<教育>されているのだ。

小学校の授業に今も「道徳」というのはあるのだろうか?
僕らの頃に教科書の上で習ったこととしてではなく、実地教育としてボランティアや公共道徳を教えるべきだと思う。
他の授業時間を削っても。


  2005年11月25日(金) 「ゲバラ日記」を読み始める
  皇室典範改正問題(あえてブス殺しの汚名をきて)

余談から入る。
かつてつかこうへいのエッセイ(と思う)に「あえてブス殺しの汚名をきて」というのがあった。
買わなかったけれど、素晴らしいタイトルだと思った。
皇室問題について書く時、僕は何故かそのタイトルを思い出す。
以上、余談。

女性天皇容認か「男系男子」存続かで世論も割れているようだ。
僕の結論から言う。
皇室典範の廃止、日本国憲法から「天皇」削除。

いきなり乱暴な所から入ってみた。
これだから<左翼>と呼ばれるのかもしれない。
では、ちょっと乱暴ではない議論を。

まず論点は明確に二つ。
一つは、「天皇」は誰にとってどういう理由で必要なのか?
もう一つは、「天皇」の継承者が誰になるかを決める権利は誰にあるのか?

あなたには天皇が必要ですか?
必要な人は何故必要なんですか?
「歴史」とか「伝統」とかいう言葉が好きな人たちが沢山いる。
そういう言葉に寄りかかることで安心できる<幸せな人たち>だ。
たとえば歌舞伎というものは何が素晴らしいのか?
それは、「歴史」があるからでも「伝統」があるからでもない。
「歴史」や「伝統」が継承された「今」表現されているものが素晴らしいからだ。
どんなに長い歴史を持ったものであれ、それが素晴らしいものでないなら、形骸化したものであるなら、また今後継承する必要がないものであるなら、「今」滅びればいいのだ。
では、「天皇」はどうか?
これは僕の推論だが、多くの日本人たちにとって、「天皇」というのは<拠り所>なのだと思う。
日本というなんだか漠然とした国の「歴史」と「伝統」を体現しているのが「天皇」なのだろう。
キリスト教国家やイスラム教国家にとって神が<拠り所>と呼べるものなのか、それ以上のものなのかは僕には皮膚感覚として理解は出来ないが、多くの現代の日本人にとって「天皇」はたぶん<拠り所>以上でも以下でもないと思う。
それがなくなるのが怖いですか?
あなたは「天皇」がいなければ独りでは生きていけないのですか?

二つ目の問題。
これを書くに当たって、皇室典範(旧皇室典範もざっと)を初めて読み、日本国憲法第1章を読み直してみた(ひとつ驚いたのは、皇室典範によると皇族の成年は18才〈!〉だということ)。
「天皇」というものを継承している一族について法律で様々なことが定められている訳だが、もしそれが自分の家だったらどうか?
有識者などという訳の分からない連中が出て来て、「あんたの世継ぎは誰々になります」とか勝手に言われたらどうか?
僕は、女性が継ごうが男子男系にこだわろうが、そんなことはどうでもいいのだ。
問題は、それを「天皇」の一族が自分たちで決められない状態にあるということだ。
僕は「天皇解放」なんて声高に叫ぶ気はないが、そもそもこういう問題が発生するのは「天皇」を継承する一族をいまだに法律で規定しているこの国家・国民に原因があるのだ。
彼ら(「天皇」の一族)に勝手にやらせればいいじゃないか。
それと同時にもうお互いにノータッチでいいじゃないか。

全然違う視点から言うなら、僕は「天皇」の一族は嫌いではない。まともに教育された人々だと思っている。けれど、やれ御成婚だ、やれ崩御だと、何かと言うと沿道に繰り出し、「御記帳」するヤカラの神経は全く分からない。
たぶん、ファンなんだな(まさに<拠り所>なんだな)。
きっと巨人ファンより多いんだな。

最後に、僕の<拠り所>は何かを考えてみた。
たぶん「日本語」だ。


  2005年11月20日(日) 高橋尚子と宮里藍の底力と凄みに感動
  ほんとの、ほんとの、ほんとの原因(構造計算書偽造問題)

みんな知ってるとは思うけど、まずあらかじめ僕は経済学者ではないということを断わっておく(いつもこんな訳の分からんエクスキューズばかりやけど)。

今回耐震性を偽って構造計算書を出されていたマンションやホテルが問題になり、更に建築士や検査機関がその責任のなすり合いをしていることがこの問題に対する怒りに輪を掛けている。
これは、様々な人間の醜さを含んだ問題であるのだが、僕はこれら一連の問題、そして実は少子化問題、ホームレス問題等も含めて、結局根本的な原因は<土地政策>にあるのだと思っている。

バブル崩壊であれだけ手痛い目に遭って、何故懲りないのか?
答えは簡単である。
そこに金が落ちているからだ。
金が落ちている所にこうして醜い奴らが集まって来るのだ。
人の命を自分の金に換えようとするのだ。
けれど、悪いのは彼らだけではない。
彼らを生み出す土壌、体質に根本的な問題があるのだし、それを変えないことには同じようなことは何度も繰り返されるはずだ。

<終の棲家(ついのすみか)>という言葉がある。
日本人がとても好きそうな言葉だ。
家計を節約して、何十年ものローンを組んで、マンションや一戸建てを買うのが<夢>だという。
それが<夢>?
そんなものが<夢>?
みんなこんな世界に疑問を抱かないのだろうか?
「これじゃあ、まるで<土地の奴隷>やなぁ」と誰か大声で言わないのだろうか?
一生懸命働くことは美徳かもしれないが、その働いたものが、<たかが家>に換わって満足なのだろうか?
僕は、この国でよく暴動が起きないものだなぁと常々感心している。

資本主義社会における経済活動というのは、大まかに言って需要と供給の関係によって成り立っている。
投機的な意味も含めて<土地>を求めるものがあまりにも多く、この国は慢性的な需要過多である。
このように<土地>というものがその経済活動の一環として存在することを僕は完全に否定するわけではない。
けれど、人間が国家という共同体を形成し、<最低限の生活>を保障することを旨とするならば、<最低限の住居に住む権利>は保障されるべきだと僕は昔から考えている。
つまり、どんな土地に暮らそうが、<人間が暮らすことの出来る最低限の住居>(たとえば、3畳でも4畳半でも構わない)は、国家、もしくは地方自治体が無償で提供されるべきである。
結婚すれば必然的に2倍の広さの住居に住むことが出来るようになり、子供が一人出来れば3倍の住居に住むことが出来るようになるようにする(これは金銭的な負担減の意味も含めて二重に少子化対策に好影響するはずだ)。
そして、それ以上に大きな、設備のいい住居を望むなら、そういう人に対しては多額の税金を徴収すればいいし、かつ、相続についても、現金や株式などの相続以上に土地の相続には多額の税金を課すようにする(田畑などは除く)。
つまり、贅沢を望むなら沢山税金を払わなければならないシステムを作る。
そうすれば、国家、または地方自治体が多くの土地を利用できるようになる。
あくまでも大雑把な試案であるが、<土地の奴隷>から解放されることによって、本当の意味の豊かさへの回帰も可能になるのではないか?

最初の問題に戻ると、この事件が何故悲劇的かというと、マンションの住民たちが一生を懸けてその<棲家>を購入しているからである。僕が示した案のように、<棲家>がもっと簡単に取替え可能なら、こんなに悲劇的な扱いはされないはずだ(責任問題はまた別)。
でも、僕の本音を言うなら、みんな結構好きで奴隷になっているような気もする。
僕はまっぴらだが。

長々と書いたが、実はまだ書き足りない。
またいずれの機会にかこの問題については書こうと思っている。


  2005年11月13日(日) 千葉ロッテマリーンズ、アジアの頂点
  大人の責任〜東武鉄道の運転士のこと〜

この件に関しては、暫く胸の内に温めておいた。
更に幾つかのブログでの意見なども読んでみた。
何度も反芻して考えながら、自分の中の結論が変わらないからきちっとした形で書くことにした。

東武鉄道で、自分の息子(3歳)を運転席に入れて4分間運転していた運転士が懲戒解雇になった件で、東武鉄道に対して処分が厳し過ぎるとの抗議が多数寄せられた問題。

まず、「解雇」という処分が重いかどうかについては、東武鉄道が決める問題なので、「減給」であれ「乗務停止」であれ「解雇」であれ構わないと思う。
それは会社の社会に対する責任の取り方の問題だ。
僕は、会社の処分ではなく、その運転士に対してきちんとした重い刑事罰を科すべきだと思っている。

たとえば、これが飛行機のコックピットだったら世間は同じ反応をするだろうか?
もっと卑近な例で言えば、自動車の運転中に子供にハンドルを握らせるとしたらどうか?
事故が起きた時に人命に関わるのは同じこと。
たとえば、運転席に入ったのが子供ではなく大人(たとえば友人)だったらどうか?
その違いによって非難の仕方が変わるのだとしたら、<情>によって命の価値は変わるのか?
もうひとつ、たとえば、今回は事故が起きなかったから「解雇」は厳しいという意見が多いのだと思うが、責任というものは事故や事件に対して負うものではなく、違法性に対して負うものだと僕は考えている(法律家の見解は知らない)。
そして、事件、事故は未然に防ぐということが最も求められていることだとも思っている。
だから、以前にも書いたと思うが、<殺人>と<殺害するための道具(拳銃や日本刀など)を所持する>ことは同じレベルで処罰されるべきだと僕は思っている。
この問題だけではなく、他のあらゆる場面で処罰(刑罰)が甘過ぎると常々思うのだが。

この処分に対して「厳しい」と抗議した人たちは、明らかに想像力が欠如していると思わざるを得ない。
人権という観点から見たとしても、守られるべきは乗客の命である。
このことで運転士の生活が破綻したとしても、その責任は100%本人にある。
自分の行為に対して一切の責任を負うこと、それが「大人の責任」の取り方だ。


  2005年10月26日(水) 千葉ロッテマリーンズ、日本一
  「ワンルームマンション建設反対」の差別意識

久し振りに怒りに満たされた。
愚かさと驕りに対する怒りだ。

今日、昼食を摂るためにバイトの現場の近くを歩いていると、工事現場の両側のマンションに上記の看板が何枚も掲げられていた。

「ワンルームマンション建設反対」

その文字の下には「○○町の住環境を守る会」と書かれていた。
世の中にはこういうキチガイがまっとうな人間のツラをして存在しているのだ。
僕から見れば、この看板を掲げている奴らは<差別者>以外の何ものでもない。

彼らの主張は、ワンルームマンションの住民によって自分たちの<住環境>なるものが損われるというものらしいが、何を根拠にそういう愚かな主張をしているのか。
それは「ワンルームマンションの住民」というものに対するいわれなき差別意識(というより差別そのもの)に他ならず、彼らは「ワンルームではないマンション」に住んでいるというだけで、自分たちが<まとも>で<善良>な人間だと思い込んでいる(勘違いしている)完全に無教養な差別者であり、たとえばこの差別に対して裁判を起こせば勝てると僕は思う(というか、勝てなければおかしい)。
元来自分たちもその場所に元々存在していなかったマンションに住んでいるということは、彼らの言い方を借りればその時点で元々の<住環境>を破壊している訳だし、それを棚に上げて「ワンルームマンション」を批判する権利がある訳がない。

彼らが最悪である点は、そういう差別意識を自分たちが持っているのに対して全く無自覚であること。
僕にはその看板の「ワンルームマンション建設反対」の文字が「我々は差別者であることに無自覚なキチガイです」という意味にしか見えない。

僕はここに彼らを糾弾する。


  2005年10月17日(月) 降り続く雨
  生中継

小泉首相が靖国神社を参拝した。
今日はバイトが休みだったのでテレビを観ていたら、民放各局もNHKもそれまで放送していた番組を中断し、臨時ニュースとしてその模様を生中継していた。
相変わらず報道は驕っているのだ。

首相が靖国神社を参拝する姿を生中継する意味とは何か?
それをちゃんと説明してから生中継してくれ。
誰かの生死に関わるような緊急事態でもなく、国家体制が根本から覆るような大事件でもない、他愛もない出来事である。
それを生中継するのは、ただそれを誇大報道したいだけの<報道の欲望>が剥き出しにされただけのことである。

以前にも述べたように、首相が靖国神社に参拝しようがしまいが大した問題ではないし、違憲判決を出している裁判官は馬鹿だし、だからと言って、僕は靖国神社なるものを支持している訳ではない。

総括するなら、まず<英霊>などという言葉自体が幻想である。
国家のために死んでいった人は戦場に出た軍人の他にも沢山いるし、仮に戦争で死ななかったとしても、その人が国家を支えなかったかと言えばそうではないし、つまり、死んだ人間を差別化して<英霊>などと呼ぶこと自体が間違っている。
更に、参拝することによって「不戦の誓いを立てる」と言うが、そんなものは日々の暮らしの中で立てられることであり、逆にそれが出来ないようなら平和国家の継続維持という視点においては失格なのだ。
が、しかし、参拝しようがしまいが、それは個人の問題であることに変わりはない。税金を使って玉串料を奉納するとか、参拝を公務として日程に組み込むとかいうのでない限り、参拝は思想信条の自由である。それが認められないなら、すべての宗教を禁ずればいいのだ。
よく日中関係、日韓関係への悪影響のことを言う人もいるが、それも含めて選ばれた首相であり、それも織り込み済みで現在の日本は存在していると考えるべきである。

まるで的を射ていない生中継を観ながら、こういうのを<報道ファシズム>と呼ぶべきではないかと思った。


  2005年10月12日(水) 初めて中国茶専門店に行く
  少子化?

僕が東京に来て以来ずっと暮らしている街・大山で、最近よく見かけるものがある。
妊婦だ。
しばらく前から漠然とそういう印象を持っていたのだが、今日、駅前で15分ほど人を待っていた間でさえ4、5人見かけた。
本当にこの国は少子化が進んでいるのか、というのが疑問に感じるくらいの割合で妊婦を見かけるのだ。

確かにこの街はとても住みやすい。
区役所を始め、各種の役所が近いし、学校も多いし、大小様々な病院も充実しているし、何よりも東京でも有数の巨大な商店街があり、更に池袋はもちろん、新宿、渋谷も含めて通勤にも便利である。
だからなのか、小さな子供を連れたお母さんや妊婦さんがやたら多い。
東京の出生率は全国的にも激低だというが、この街を見ている限りその気配はまるでない。

「みんなちゃんと生殖活動してるんやなぁ」と思ったりする今日この頃。


  2005年10月7日(金) 銀座、末広町(秋葉原)、上野と巡る
  「努力の仕方が分からなかった」

青嵜めぐみの個展を観に行って来た。

彼女と出会ったのは代々木の喫茶店。
かつて彼女がウエイトレスしていたその店には彼女の絵も飾ってあり、勘定をする時にカウンターに彼女の個展のDMが置いてあったので、出掛けてみたのがもう6,7年前。
それ以来、ほぼ年に1回開かれる銀座での彼女の個展はほぼ欠かさず行っているし、阿佐ヶ谷の小さな喫茶店での展示も何回か観に行った。
独特の色彩感覚と、具象と抽象の間を駆け抜けているような表現方法が面白くて、次に自分のアルバムを作る時には彼女にデザインを手伝ってもらおうと実際にお願いもしている。

今回個展のお知らせのDMを見て、僕はちょっと驚いた。
今迄の彼女と明らかに画風が変わっているからだ。
で、今日ギャラリーに行ってみて改めて驚いた。
彼女は画風を完全に変化させ、それまでダンボールにクレヨンで描いていたのを、キャンバスに油絵というごくオーソドックスな手法を採っていたのだ。
といっても、やはり彼女らしい線と塗り方は残されていて、レジェを思わせるような洗面台の絵や昭和初期の日本画家が描いた油絵を思わせるような懐かしい感じのする人物画はなかなか興味深かった。
画風が変化した理由について、今後の製作についての展望等々を彼女に尋ねている時に、彼女が口にしたのが上記の台詞。

彼女はどちらかというとデザイン畑から来た人なので、絵を描くに当たって、湧き上がってくるものを放出するように表現してきたという。その表現方法に自ら疑問を持って、習作を重ねて画風を変えたというのだが、それまでは「努力の仕方が分からなかった」という。今になって基礎を学び直しているのだというのである。

とても興味深い言葉だ。
たとえば強靭な肉体を作るために筋トレをするとか、ピアノが上手くなるためにエチュードを繰り返すとか、そういうレールが引かれている上をなぞるのは簡単だ。
しかし、詩を書くとか絵を描くとかいうように、自分でレールを引かなければならない(或いはレールがない)場合は継続して表現し続けることは難しい。
僕自身もこれだけ詩を書いているが、未だに詩の書き方がよく分からない(もしかしたら一生分からないかもしれない)。だからこそ面白いという部分もあるのだが。

勉強にしてもビジネスにしても芸術活動にしても、どんな風にしたらどんな結果が出るかというのを掴むのは大切だ。けれど、たぶんもっと大切なのは、その手法を自分なりに模索して掴んでいく過程ではないか、と思う。ハウトゥー本で最短距離を走ってしまえば、人生の<暗中模索力>は得られない。

彼女の作品は、作風を変えるという勇気と<暗中模索力>の上に存在しているのだなぁと狭いギャラリーを見回したのだった。


  2005年10月4日(火) 「フォークジャングル通信」発送
  あえて「杉村太蔵」について語る

最近発言を封じられ、各メディアでの報道も下火になりつつあるが、これまでの経緯も含めて、彼に対してというよりも、彼に対する、いわゆる<コメンテーター>たちの言説について語りたい。

まず「杉村太蔵」という国会議員についての僕の意見は、「どうでもいい」ということだ。それは、他の国会議員と同様に「どうでもいい」という意味でだ。
確かに彼はちょっと特殊な雰囲気を持っていて、メディアで取り上げやすいキャラクターだとは思う。それは別に構わないが、彼をヤリ玉に挙げて批判するのは、コメンテーターたちの<驕り>以外の何ものでもないと僕は思う。

ある男性コメンテーターが「彼みたいな人間を同世代の代表として見たら、一生懸命頑張っている他の若者達が可哀相だ」と語っていた。
このコメンテーターは多分かなり頭が悪い。
何故なら、彼は同世代の代表ではない(あり得ない)し、何をもってして彼が他の同世代の若者達より下だと評価されなければならないか分からない。彼の数々の浮かれた発言は、同世代の人間が普通にするような発言であるし、国会議員が特別に厳粛な発言をしなければいけないというような常識があるとしたら、そんなものクソ食らえだ。

他の女性コメンテーターは「明治維新を支えたのは彼らと同世代の20代の若者達でした。それと比べると情けない」と語っていた。
このコメンテーターは多分キチガイだ。
明治維新を支えたのは確かに多くが20代の若者だったが、それには彼らが活躍するための歴史的背景があった(上の世代が政治的弾圧によって処刑されたり、彼らの世代が新しい西洋事情や情報を素早く得られたり)。今とは明らかに背景が違う。それを同列で語ること自体が狂っている。
更に、彼らの中には現代風に言えば<テロリスト>や<テロリスト>を抱えていた者達もいた訳で、これも歴史的背景を抜きにして良し悪しは語れないが、そういうことも含めて彼らが全面的に優れていたとは言えないと僕は思う。勿論、彼らから学ぶべきことは多いが、今の日本という国の形をいい意味でも、そして悪い意味でも形作った訳で、大東亜戦争(と、この場合はあえてこう呼ぶ)も、結果的に彼らが目指した国家像から発生した戦争だと言えなくもない。
ここまで言うと全く違う問題についての話になってしまったが、つまり比較論で「杉村太蔵」を語ること自体馬鹿げているのだ。

そう、「杉村太蔵」を通して見えてきたのは、年を食ったいわゆる<コメンテーター>たちの多くは、どうでもいいようなキャリアだけをぶら下げたただの頭の悪いおっさんやおばはんだということだ。
それを真に受けて「杉村太蔵」を批判したところで、この国の真実は何も見えてこない。

もう一つ言うなら、「杉村太蔵」なんかよりもずっと大きな問題は、シャブを打ちながら選挙活動をしていた民主党の元国会議員であり、彼を公認していた民主党執行部は、退陣したとはいえ、徹底的に責任を追及されるべきだ。
これ程由々しき事態はかつてなかったのに、いつの間にかこの話題がスルーされているのはどういうことか?
民主党解散に至ってもおかしくないような大問題だと僕は個人的に思うのだが。


  2005年9月28日(水) プレステ、死す。
  <刑法改正>私論

ここのところ、車からの無差別(だけでなく、狙ってのもあるのかもしれないが)銃撃のニュースが続いた。
この種の暴力的犯罪は、僕が最も憎むものである。
この事件と、少し前に話題になった「ネットのサイト経由での殺人依頼事件」の刑罰の軽さに触れ、以前から書こうと思っていた僕の刑法観を綴ることにした。

あらかじめ言っておくが、僕は法律を専門的に勉強したことはない。だから、法律というものの誕生から変革の歴史や、日本の現行の法律の土台が何処にあるのかも知らない。しかし、だからこそ、根底的な疑問から生まれた僕の意見を述べることが出来るとも思っている。
以上でエクスキューズは終わり。

日本の現行の法律において、軽微な犯罪から重大な犯罪(とされているもの)まで、その刑期はあらかじめ決められている。
懲役6ヶ月以上2年以下とか、3万円以下の罰金とか。
たとえば、万引きを何十回繰り返そうと決して死刑にはならないし、殺人はたとえ執行猶予がつくことがあろうと、初犯であれ重い懲役刑が課せられる。
また、日本の法律では、幾つかの犯罪が同一人物によって行われたとしても、一番重い刑を取り(最近の判例では足されている場合もあるが)、アメリカのように、累計して懲役100年とか200年とかいうことはあり得ない。
僕はこのような点に疑義がある。

当たり前だが、刑罰は復讐ではない。
僕は「目には目を、歯に歯を」というハムラビ法典的発想には根本的に反対であり、犯罪に対して刑罰というものを適応させるなら(それが正しいことであるかどうか自体も疑問だが)、国家の治安を乱す度合に比例して適用されるべきだと思っている。
そして、それは出来るだけ柔軟に適用されるべきだと考えている。
つまり、何十回も万引きを繰り返す者、壁に落書きをし続ける者(関係ないが、スプレーでアメリカン・カートゥーンっぽい落書きをしてる奴らはセンス0だ)、繰り返し駐車違反をする者、覚醒剤を何度も使用する者等の常習的な犯罪、集団でリンチや拉致する者、あきらかに殺傷目的の武器(拳銃や日本刀やスタンガン等)を所持する者等の極度に暴力的な行為(やその準備)に対しては、極刑も適用できるようにするべきだし、逆に、殺人を犯しても情状酌量だけでなく、仮にそれが治安を乱すという意味で重大でなければ(どういう状況かは具体的に思い浮かばないが)、軽微な刑罰でもいいと思う。
それにはどうすればよいか?

<あらゆる犯罪に対して、あらかじめ刑罰を決めない>

ということだ。
つまり、犯罪の種類によって刑罰が決められているのではなく、その内容のみを考慮し、刑罰の重さを決めるべきだ、ということである。
たとえば、駐車違反10回の罰金1億円や、拳銃所持だけで死刑もあり得る(これは本気で願う)社会は悪い社会だろうか?
もちろん、これはある程度判例主義にもなるだろうが。

もしも、こういう刑法を実現しようと思えば、、裁判官の質の向上、犯罪の軽重に対する裁判官達の一定の認識等も必要になり、検察官や弁護士の力量も今以上に問われるし、適用は難しいには違いないし、国家として一歩間違えれば、ナチスドイツやスターリニズムのような状況も誕生しかねない。
それでも、それでも僕は敢えてこういう<刑法改正>を主張したい。
本気で暴力を排除し、安全な生活を重視する社会を作ろうとするなら、<刑法>という形でまずそれを徹底する意志を示すべきである、と。


  2005年9月17日(土) パチンコで連勝(たった2000円)
  「青春からの戦力外通告。」

これは今年出会ったフレーズの中で最高のフレーズ。

うた、詩、短歌、俳句、小説、お笑い、報道、演説等々、各分野で心に残るフレーズはあるけれど、9月半ばにして<まっちゃんが選ぶ2005年のフレーズ大賞>ほぼ決定だ。
ちなみに作者はあの「眞鍋かをり」である。
そう、これは眞鍋かをりのブログ「眞鍋かをりのココだけの話」の2005年9月15日付の文章の中の1フレーズ。
読んだ時にちょっと震える位、来た。
僕の新曲のタイトル「あなたぼっこ」もかなりいい線いってると思っていたが、これには大外刈り一本って感じでやられた。
このフレーズ、きっとどこかでパクらせてもらうと思う。

ちなみにこのブログを書籍化した同名の本も買って、今日一日で読み終えた。
正直に告白するけど、どうやら僕は眞鍋かをりに結構夢中みたい。
ちなみに眞鍋かをりのブログのアドレスは下記の通り。

http://manabekawori.cocolog-nifty.com/blog/


  2005年9月13日(火) Happy Birthday to me!
  夏の終わりの夕焼け

久し振りに夕焼けらしい夕焼けを見た。
写真ではちょっと分かりづらいかもしれないが、僕の横で近所のパチンコ屋の店員が見とれていたほどの夕焼けだった。
振り返ると妊娠6ヶ月くらいの半月。
これも誕生日プレゼントかな。

※JR板橋駅前の夕焼け



  2005年9月12日(月) 38歳最後の日
  議会制民主主義

先日の続きみたいな話。

衆議院選挙は自民党が圧勝した。
僕は予告どおり投票してないから、この結果をただ真摯に受け止めるだけ。
これが国民の選択であるから。
今回の選挙結果を見て、改めて議会制民主主義の限界がはっきりと見えたから、そのことについて書きたい。

議会制民主主義(政党政治)は、選挙において国民の代表(議員)を選出し、国民が彼らに法案の議決権を委譲する制度である(歴史的に観ても、僕は議会制民主主義というのは貴族政治の延長線上にあると思っている)。
国民に直接の議決権はない(特別な場合の国民投票を除く)。
例えばある人が、A党のa政策には賛成だけど、b政策には反対とする。同時にB党のc政策には賛成だけど、d政策には反対とする。この場合この人は、a、b、c、dどれかの政策を最重要課題としてA党かB党かどちらかに泣く泣く投票しなければならない。つまり、自分の政治的見解を選挙によって全面的に表明することが出来ない訳である。
しかも、この選択肢が多岐に亘る場合、個人の意見はより反映されないことになる。
議会制民主主義というのは、これを「妥協しろ」という制度であり、よく考えれば無茶苦茶な制度であると言える。
もっと具体的に言うなら、今回の衆議院選挙でも、「郵政民営化」を一つだけの争点とするのはおかしいと主張する野党があったが、確かにそれも一面正しいが、年金問題にしても憲法改正問題にしても、結局いずれかの点によって投票する政党を選ばなければならないというのは同じことである。
一つ一つの問題について個人の政治的見解を国政に反映するためには、議会制民主主義(特に二大政党制なんて最悪)では無理だと言える。

またもや理想を語る。
本当の意味の民主主義をもしも国民が望むなら、議員定数を劇的に減らし、議員は国民を代表して法案提出、法案の論点の明確化、法案の論議のみをし、議決はすべて国民投票にするべきである。
たとえば、1年に何回か3日間位の国民投票休暇を作り、その間は提示されているあらゆる法案について有権者が検討し、投票する時間を作る。そうすれば、個々の法案についての賛否を国民それぞれが判断し、意思表明できる訳で、結果は完全に国民が負うことになるという正に民主主義のルールに則ったものとなる。
これは、政治を専門的に勉強した訳でもない僕の試案にしか過ぎないが。

インターネット社会になった(なりつある)今、実は直接民主制への可能性は拡大していると僕は考えている。
これを改革と呼ぶか革命と呼ぶかは別にして、このくらいのことを提案できない(しない)国会議員による議会制民主主義なんて!と思わずにはいられない。


  2005年9月9日(金) 赤い財布を落とす
  アナウンス効果

衆議院選挙の投票日が近付いている。
先週の日曜日、漫画喫茶で新聞を見ていて驚いたことがあった。いわゆる5大紙すべての1面トップの見出しが同じなのである。こんなことは余程の大事件で、しかもその事件に対する視点がひとつしかない場合にしかほぼ考えられない(ということあり得ないということ)。
その見出しと言うのが、「自民単独過半数越えの勢い」というもの。
僕は正直ゾッとした。
その見出しの内容に対してではなく、横並びの記事作りをしている大新聞の怠慢と、選挙結果予想という馬鹿げた行為を自信満々に1面に打ち出している愚かさと、アナウンス効果を無視した紙面作りに対してだ。
ちなみに言っておくが、僕は勿論自民党を支持している訳ではないし、だから自民党を擁護しようという気はさらさらない(かと言って民主党なんて最悪だし、誰かは僕を左翼だと思っているかもしれないが共産党を支持している訳でもないし、他党に対しても以下同文。でも新党「日本」という名前は馬鹿げてる。おまえたちにどうして「日本」という国名を党名として名乗る権利があるのか)。

僕が言いたいのは、マスコミが民意をコントロールするような形の記事を作るべきではないし、根本的に言うなら、選挙結果予想というのはプロ野球の優勝チーム予想よりもナンセンスだということ。
プロ野球の優勝チーム予想は、当たるにしても外れるにしてもその結果は個人の力の及ぶところにはないもの(プロ野球選手たちの手に委ねられているもの)であり、シャレの範疇だ。
ところが、選挙結果というのは、個人個人の集合体の手に委ねられている訳であり、どんな情報も投票行動を左右する訳である。
たとえば、それが各党、各立候補者の<声>によるものなら、どんな馬鹿げた内容であっても構わない。しかし、マスコミが投票行動を左右するのはおかしいし、必ずどこかへ向けてベクトルは働いてしまうのだ。
だから、「投票に行きましょう」という呼びかけすらマスコミはしてはいけないと僕は思っている。
投票率自体も選挙結果を左右するからである。
こういうことに無反省なのか、或いは意図的なのかは知らないが、いずれにしてもマスコミというのは相変わらず愚かだ。

ちなみに、僕は投票には行かない。
20歳の時に1度だけ、投票所とはどんな場所か社会見学として行ったことがあるが、投票はしなかった。
話せば長くなるが、簡潔にいうなら、僕は議会制民主主義そのものを信じていないからである。
信じていないというよりも、議会制民主主義とは、根本的な意味での民主主義とは遊離したものであり、妥協案であるが故に絶望的に僕の理想と対極にあるからである。

ただ、今回の選挙戦の中では幾つかの興味深い側面もあった。
でも、それはまた別の機会に。


  2005年8月31日(水) 夜行バスで徳島から渋谷に着く
  ラーメンの道(徳島編)

  
徳島・東大(大道本店)       徳島・春陽軒

高知「歌小屋の2階」での50時間ライヴを終え、僕は徳島へ向かった。
祖父と父が眠っている墓所が徳島県由岐町にあるからだ。
由岐町へ行くには徳島駅から電車の本数も少なく、時間が掛かるため徳島市内で1泊するというのがいつものパターン。徳島市内には美味いラーメン屋も多いし、<好きな店>でも取り上げた「たかしま珈琲店」もあるし、その道を挟んで向かい側にある「COPA」というバーも気に入っているからという理由もある。

徳島のラーメンがご当地ラーメンとして注目されたのは何年前だったろうか。僕は墓所が徳島にあるということもあり、徳島ラーメンに対して全く違和感がない。というか、実は全国のラーメンを食べ歩いていて、もちろんその土地土地に素晴らしいラーメン屋はあるのだが、全体として僕はどうやらこの徳島ラーメンというのがかなり好きなようだ。
その理由は幾つかあるけれど、たとえば麺が中細ストレートだということ、スープが醤油ベースの豚骨だということ、麺とスープの量のバランスのいい店が多いこと、そして何よりも、チャーシューではなくて甘辛く煮た豚ばら肉が入っているということである。
実は僕はラーメンを食べれば食べるほど、チャーシューというのは必要ないんじゃないかという意見に傾いているのである。それは極論としても、少なくとも麺とスープに合った(邪魔することのない)チャーシューを使っている店は本当に少ないと思う。確かにチャーシューの美味い店もある。炙りチャーシューなどというのも近年ちょっとしたブームだ。けれど、そのどれもが麺とスープの関係を邪魔しているように感じる。それならいっそのことひき肉を使ってスープと一体化させる(高田馬場「べんてん」のように)か、薄切りの豚ばら肉を使った方がいいんじゃないだろうか。ラーメンにはチャーシューという定型はそろそろ考え直していい時期に入っていると思う。ちなみに、チャーシャーがその存在感を示してスープに貢献しているのは、僕の知っている限り蒲田の「インディアン」だけではないだろうか。
話は逸れてしまった。
僕が思うに、徳島ラーメンはもっともっと美味くなる可能性を秘めていると思う。何かを加えることよりも、何かを削ぎ落とすことによって。


  2005年8月14日(日) 腕が祭焼け
  「ワッショイ!」

深川・富岡八幡宮の大祭を観に行って来た。
神輿が54基(!)も繰り出す素晴らしい祭りだ。
沿道のあちこちから、担ぎ手に神輿に水が掛けられ続け、水を滴らせながら「ワッショイ」の掛け声と共に8km以上練り歩くのだ。
東京に来てから16年も経つのに大きな祭りに出かけたことがなかったのだが、今回初めて祭りを観て、<江戸>を強く感じた。

いつか永六輔が、江戸の祭りの掛け声は「ワッショイ」と決まっていると言っていた。「ソイヤ」などという掛け声を掛ける祭りもあるらしいが、「ワッショイ」が本道だという。
富岡八幡宮の大祭も終始「ワッショイ」だった。リズムの強弱やテンポの変化はあるけれども、底流に流れる「ワッショイ」が祭りのすべてを彩っている。
東京も、祭りも、捨てたもんじゃない。








  2005年8月8日(月) 大仁田厚かと思ったら喜納昌吉
  耳かきの話

先日あるバーで飲んでいた時の話。

1人で飲みに来ている常連客の女性と話をしている時に<耳かき>の話題になった。
彼女は耳かきをするのが好きで、ほぼ毎日するらしい。
彼女は旅をするのも好きで、だから、旅にはあえて耳かきを持って行かない(!)と言っていた。
僕が不思議に思ってその理由を尋ねると、

「私、逃亡癖があって、耳かきを持って行くとそのまま旅を続けたくなるから」

と答えた。
つまり、部屋に再び帰るためにあえて耳かきを置いて行くと言うのだ。
素敵な話だ。
たとえばペットを飼っていて、そのために帰って来るという話ならよくあるけど、<耳かき>のために帰って来るというのは余程好きなんだなぁと感心した。
ちなみに彼女は<My耳かき>を5本持っているそうだ。


  2005年8月7日(日) 汗だくで昼寝
  8・6から9・11、そして・・・

先日8/5の夜、TBSの「ヒロシマ」という原爆に関する特集番組を観た。
その番組の後半、アメリカ人の原爆製造者が広島を初めて訪れ、平和資料館を見学した後、被爆者と話をする場面があった。
被爆者側は感情を抑えつつも最終的には核兵器の製造・原爆投下に対する謝罪を求め、原爆製造者側は戦争というものはどちらにも非があり、個人的に謝罪するつもりはないと主張した。
僕はそれを観ながら、つまりこれが戦争が絶えない理由のひとつであり、9・11から更に先へ続いていくものなのだと感じた。

60年経っても謝罪を求める人たちと謝罪を拒む人たち。
被爆者の方々は原爆製造者や投下した軍人や<アメリカ>への憎しみや恨みを抱き続けているのではなく、それを<戦争>というものに対する悲しみに昇華し、<戦争>というものの種を人々の関係性の中から排除していくために努力しようとしている人たちなのかと僕は思っていた。ひとりの原爆製造者が謝罪したことで何かが救われたり癒されたりする問題ではないと理解しつつ、悲しみを背負っている人たちなのかと。
原爆製造者の方が真珠湾攻撃の話を持ち出し、そこで自分の友人も日本軍によって殺された、原爆で殺されるのも機関銃で殺されるのも<戦争>によって殺されるというという点では同じであると主張していた。彼は<戦争>といものが存在するということに対して諦めつつそう語っていたのだが、僕は諦めずに彼と同じ意見を主張したい。
原爆も機関銃も地雷も劣化ウラン弾も戦車も戦闘機もその他あらゆる<人間を殺すための道具>を拒否する姿勢を、原爆という象徴的な大量破壊兵器の巨大な爪跡から学ぶべきではないのか。というか、<戦争>に対するそれ以外のどんな姿勢も僕は信じない。極論の理想主義である。

最近自民党が日本国憲法改正の草案を発表していた。
ある評論家が「現実的に日本の安全保障を考えると、自衛隊を軍隊として明記するのは当然だ」と語っていた。
しかし、僕は思う。
<武力による安全保障>というものが存在しないことは、あの9・11が証明している。あらゆる時代にテロリズムが存在しているのは、あらゆる時代に存在していた<武力による安全保障>は神話にしか過ぎないということなのだ。
間違えないでほしい。
僕はテロリズムを肯定しているのではなく、武力によりかかる構造そのものを否定しているのだ。
あの力道山だって暴漢に襲われて死んだ。
アメリカだっていつの日か必ず倒れる。

世界の力関係はいつも歪んだままであり、そこら中に馬鹿げた武器がごろごろ転がっている。
僕は誰にも謝罪を求めないし、誰にも謝罪しないけれど、<戦争>を根本的に排除しようとする人たちとは握手するし、そうでない人たちとは握手しない。
今年の8・6も、「ひげG」こと掛江さんを中心とするうたうたいたちが、広島の比治山公園で「広島青空音楽会」を開催した。僕は一度だけしか参加したことがないが、彼らが毎年うたい続ける意味は、その力の大きさではなく、その想いの真実にあるのだと僕も信じている。


  2005年7月29日(金) 夕暮れ時、独りでテラスでケーキ
  ラーメンの道(福岡編)

  
福岡・秀ちゃん            福岡・ともちゃん
  
福岡・ふくちゃん           福岡・やまちゃん

先日の福岡2泊3日でラーメン4杯は多いのか少ないのか。
今回は「住吉亭」にはあえて行かなかったのだが、時間の関係で門司の「a子」に行けなかったことは心残り。
地下鉄・七隈線が出来たおかげで、「ふくちゃん」に行きやすくなったので移転後初めて食べた。
何故か今回は全部「ちゃん」の付く店ばかりだったのは偶然。
今回も思ったのだが、結局ラーメンは麺が勝負だということ。
客を引き付けるのは確かにスープかもしれないが、麺が美味くないラーメンは食べていて途中でうんざりする。

それに関連して、福岡のラーメンについて一言。
ラーメン屋で麺の茹で方(硬さ)について訊かれることが多く、粉落とし、ハリガネ、バリカタ、カタ麺、普通、ヤワなどがあるけれど、僕はまず「普通」を頼む。
それは好みの問題以前に、「普通」を注文して芯までちゃんと茹でられていて、かつ茹で過ぎていない状態で出て来るかどうかが大切だし、その状態で最高のラーメンを作るべきだと思っているから。
今回ある店で替玉を注文する時にあえて「カタ麺」にしてみたが、芯まで茹で切れていない状態の麺は確かに歯応えはあるけれど、決して最高の状態のラーメンとは呼べないのだと確信した。

余談だが、帰り道、愛知県の刈谷駅前でもラーメンを食べた。
いわゆる「和風豚骨」というやつで、東京でも2、3年前に一世を風靡したスタイルだ。
なかなか美味いラーメンだったのだが、それ以上にラーメン文化の浸透力を感じさせられた一杯だった。


  2005年7月21日(木) コンビニでついつい杏仁豆腐を買ってしまう
  オヤジバトル

正確には「OYAJI BATTLE」と言うらしい。
今日の夕方のNHKニュースを見ていて僕は初めて知ったのだが、もう何年も前から大会が続けられているらしく、今回の大会にはゲストとして初代K−1王者のシカティックも「リスペクトBATTLE」という形で参戦したというから凄い。

これはその名の通り、35歳以上のいわゆる<オヤジ>たちが、総合格闘技ルールでリング上で闘うというもの。近年の総合格闘技ブームで、その気になってジムに通い始めた<オヤジ>たちに実践の場を提供してみようというのが始まりらしい。
当初は選手も観客もほとんど集まらなかったのだが、一度闘ってみて味をしめた<オヤジ>たちが続けていくうちに、今回は後楽園ホールで、しかも招待選手まで呼べるようになったのだという。
NHKニュースで取り上げられていた選手は本当に普通の<オヤジ>で、41歳独身でラウンドガールの女の子に想いを寄せていて、カッコいい所を見せるために頑張っているというちょっとどうしようもないタイプの<オヤジ>だったが、勿論リング上では真剣である。
会社経営をしている(いわゆる社長だ)38歳(ぼくと同い年)の空手を習っているという<オヤジ>もいた。

ある女性の観客が「心が曲がっていない」と闘う<オヤジ>たちのことを評していたが、何の見返りもなく、目の前の一戦一戦を闘うためだけに仕事の合間に日々の練習を続けている<オヤジ>たちに僕も共感した。
僕も彼らと同世代であり、ある意味同じように<自分のリング>で闘い続けている。<オヤジバトル>というのはとてもキャッチーで素晴らしいコピーだが、僕は自分を<オヤジ>として闘っているとは思っていない。いつでもORANGE RANGEあたりとサシで勝負する用意は出来ている。


  2005年7月21日(木) 女子中高を点検
  ちょっと怖い話

今日のアルバイトの現場は私立の女子中高だった。
校内にあるすごく狭いエレベーターに乗った時の話。

1階からエレベーターに乗ろうとした時、45歳前後の男性の先生らしき人と一緒に乗ることになった。
僕が先に乗り、彼が後から乗り込んで<3階>のボタンを押した。彼は僕の方をちらっと見て「何階ですか?」と訊ねてきた。
僕が「R階です」と答えると、その恐ろしい出来事は起こったのだった。
彼は低い声でこう言ったのだ。

「そんな階、アールかい?」

シーン・・・・・・。
エレベーターは3階でおもむろに開き、彼はそのまま去って行った。
僕は独り取り残されて、悔しいような、淋しいような、腹立たしいような、悲しいような、複雑な気持ちのままR階で降りたのだった。
しかし、それにしても、である。
初対面で、しかも今後親しく付き合う予定もない相手に対して駄洒落をカマす大人とはどうなのか。
アリなのか、ナシなのか。
このちょっとした真夏の恐怖体験を僕はどう処理すればいいのだろうか。


  2005年7月13日(水) 高知から<赤紙>が届く
  指先のテクニック

こういう人を<テクニシャン>と呼ぶんだなぁと思える人を見かけた。

バイト帰りの電車の中、僕のすぐ傍で携帯のメールを打っている女性がいた。年の頃は二十歳前後、髪型はフラッパーというのだろうか(表現が古い?でも最近あまり見かけない髪型)、背が高くてスタイリッシュな女性だった。
それだけならよく目にする光景なのだが、僕の目を引いたのは、まず携帯が薄っぺらなかまぼこ板型で、ボタンが若草色でオシャレだったこと、彼女がかなり長くデコラティブなつけ爪をしていたこと、それでいながら異常な高速(僕が今まで見た中で断トツ)でメールを打ち続け、ノンストップで文章の編集作業までしていたこと、しかも小さなボタンを押しているのが左手の親指の横腹(!)だったこと、おまけに、他は完璧なのに、何故か左手の人差し指の先だけつけ爪ではなく、代わりに絆創膏を巻いていたこと。
僕は見とれてしまって、ずっと彼女の指の動きを追いかけていた。
学生時代、ある大学の付属病院でバイトをした時、そこの事務員さんの電卓を押すスピードの速さに感動したことがあったが、それ以来の<指先のテクニック>に対する感動だった。

新しい機械が生まれる度に、こうして密かに新しい<技術者>が生まれるんだなぁと感心した。


  2005年7月11日(月) 橋本真也逝去の報
  夏の始まり

目が覚めたら午前10時を過ぎていた。
ここのところずっと学校に行っていなかった僕は、(もしかしたら今日から試験かも知れへん)という焦りの気持ちをぐっと抑えて、母親に「今日は学校に行って来るわ」と言うと、母親は何故か「渡なべ」のラーメンを朝食に出して来た。
(相変わらず的が外れてるなぁ)と思いながら一気に完食して、夏物の学生服を来て家を出た。

通学路で、折り畳み式自転車に乗った、見たこともないようなカーリーヘアーのNさん(京都のうたうたい)に出会った。
そこが丁度ケーキの美味い喫茶店(薄いピンクの壁にフランス語で何か書いてある)の前だったので、彼は「まっちゃん、お茶でも飲まへん?」と誘ってくれたのだが、試験だったら困るので「今日はすみません」と丁重にお断りした。
更に歩いていると、中学の同級生のYとI(ともに野球部)が歩いていて、今度は僕の方から「最近どなやねん」と声を掛けた。彼らは「ちょっと待ち合わせや」と言ってさっきとは別の喫茶店に入っていった。店を覗くと、そこにはこれも中学の同級生のYA(バスケ部)が待っていて、(そういうことか)と僕は納得した。

学校に着くと、校門から校舎にかけて露店がずらっと並んでいて、入口で店を出していたますだおかだのますだに「今日は文化祭か?」と訪ねると、「そうですよ、先輩。今日と明日は文化祭なんです。ゆっくり見ていってください」と言われた。
「それやったら、しあさっては代休か?」という僕の問いには答えずに彼はまたお好み焼きを焼き始めた。
中に入るとピエロの格好をしたYB(彼は小学校から高校まで同じ)や案内係のI(中学時代陸上部)がいて、校舎に入ると、教室では文化祭にも関わらず、難しい数式を黒板に書いて授業をしている奴らがいて、僕は「勉強なんかやめてまえや」と教室に向かって怒鳴ったのだった。
そういえば、ここのところ茶髪の女子部員たちによって演劇部が盛り上がっているという噂を聞いていたのを思い出し、運動場の特設ステージで始まった芝居を観に行った。
内容は噂ほどではなかったが、運動場を全面的に使った演出が面白く、芝居が終わったら部員の子らとちょっと話がしてみたいなぁなどと思った。

その時、涎をだらだら垂らしながら、二度寝の夢から目覚めたことを知った。
起きると、昨日までの淀んだ気分が一掃されていて、生まれ変わったというか、覚醒したというか、新しい地平線の上に立っているような気分になっていた。
それで分かった。
僕の中ではっきりと、今日からほんものの夏が始まっていた。


  2005年7月11日(月) 「マサコ」でゴルゴ13を読む
  手をかざす者

僕には信仰する宗教がない。
それぞれの教義の歴史的・哲学的意味はともかく、神も信じなければ、神秘的な能力についても基本的には信じない(ある種の超能力は、僕は個人差のあるただの能力の一種だと思っている)。
そんな僕が最近体験したこと。

ある飲み会の席に女性が子供を連れて来ていた。
4歳になる女の子。
彼女は軽度のダウン症ということで、ダウン症特有の顔付きをしていたが、同じ年頃の他の女の子と変わらない様子に見えた。
彼女はその飲み会で僕の隣りに座っていたが、眠くなったのか、暫くすると母親の膝の上に乗り、こっちを見ていた。
すると、ふいに僕の方に手をかざしたのである。
初めは僕に何か求めているのかなと思ったのだが、掌をこちらに向けて、黙ったまま同じように3度手をかざしたのだ。
僕は、何かを与えられているような、何かを取り除かれているような不思議な印象を受けた。
それは彼女がダウン症だから、何か特別な力があるんじゃないかというようなある種の偏見でそう感じたのかもしれないと一瞬思ったが、彼女がダウン症ではなかったとしても、彼女のその仕草からは何か特別なものを感じただろうと思う。

ダウン症の女性の話は、以前(2004年6月23日)この場でも「『私を摘んでください』と言っているコスモス」というタイトルで書いたことがある。
700〜800人に1人の確率でダウン症の子供は生まれるのだと彼女の母親は言っていた。
現代の医療技術では、生まれる前に殺されるダウン症(と診断されただけ)の子供たちが数多くいるという。
僕は、彼女の掌のことをこれからも何度も思い出すんだろうなぁと思った。


  2005年7月5日(火) オタク系アイドルにちょっと心惹かれる
  韓国の芸能ニュース番組

東京のローカル放送局・MXテレビで、毎週月曜日夜10時から1時間枠で韓国の芸能ワイドショー「セクションTV」を放送している。
この番組のいい所は、勿論各国の芸能人の素顔を見られるという所なのだが、それに加えて、ちゃんとハングルに字幕を付けて放送しているので、映画やドラマの台詞ではない、生の韓国語を勉強することが出来る。更に、日本のワイドショーと違って司会者もレポーターもみんな若く、番組のテンポの速さも心地よい。
昨日放送されたその番組で、あるレポーターが<卒業>というか、一旦番組を離れることになるので、彼の過去のレポート場面を振り返りつつ、他の出演者たちが彼にメッセージを送るというコーナーがあった。
日本の番組でもたまに見かける光景だ。
しかし、日本と決定的に違うのは、彼が<卒業>する理由が、軍隊に入隊するということなのだ。
確かに彼は髪を短く刈り上げて、13時間後に入隊すると言っていた。
有名なスポーツ選手や俳優が入隊するというニュースは何度か見たが、それはやはり何か遠い国の出来事のように感じていた。
本当に普通の人が明日から入隊するという話を聞いて、韓国という国のリアルな側面を感じられた。
ちなみに、以前ソウルで独りで飲んでいた時、徴兵期間を終え、その日除隊になったばかりという人とそれを祝う友だちの二人組みと話す機会があった。
彼らはすごく盛り上がっていたのだが、その時僕は彼らの気持ちをうまく理解することが出来なかった。
実はこういう事の積み重ねが国民性というものを育むのだなぁとふと思った。