青嵜めぐみの個展を観に行って来た。
彼女と出会ったのは代々木の喫茶店。
かつて彼女がウエイトレスしていたその店には彼女の絵も飾ってあり、勘定をする時にカウンターに彼女の個展のDMが置いてあったので、出掛けてみたのがもう6,7年前。
それ以来、ほぼ年に1回開かれる銀座での彼女の個展はほぼ欠かさず行っているし、阿佐ヶ谷の小さな喫茶店での展示も何回か観に行った。
独特の色彩感覚と、具象と抽象の間を駆け抜けているような表現方法が面白くて、次に自分のアルバムを作る時には彼女にデザインを手伝ってもらおうと実際にお願いもしている。
今回個展のお知らせのDMを見て、僕はちょっと驚いた。
今迄の彼女と明らかに画風が変わっているからだ。
で、今日ギャラリーに行ってみて改めて驚いた。
彼女は画風を完全に変化させ、それまでダンボールにクレヨンで描いていたのを、キャンバスに油絵というごくオーソドックスな手法を採っていたのだ。
といっても、やはり彼女らしい線と塗り方は残されていて、レジェを思わせるような洗面台の絵や昭和初期の日本画家が描いた油絵を思わせるような懐かしい感じのする人物画はなかなか興味深かった。
画風が変化した理由について、今後の製作についての展望等々を彼女に尋ねている時に、彼女が口にしたのが上記の台詞。
彼女はどちらかというとデザイン畑から来た人なので、絵を描くに当たって、湧き上がってくるものを放出するように表現してきたという。その表現方法に自ら疑問を持って、習作を重ねて画風を変えたというのだが、それまでは「努力の仕方が分からなかった」という。今になって基礎を学び直しているのだというのである。
とても興味深い言葉だ。
たとえば強靭な肉体を作るために筋トレをするとか、ピアノが上手くなるためにエチュードを繰り返すとか、そういうレールが引かれている上をなぞるのは簡単だ。
しかし、詩を書くとか絵を描くとかいうように、自分でレールを引かなければならない(或いはレールがない)場合は継続して表現し続けることは難しい。
僕自身もこれだけ詩を書いているが、未だに詩の書き方がよく分からない(もしかしたら一生分からないかもしれない)。だからこそ面白いという部分もあるのだが。
勉強にしてもビジネスにしても芸術活動にしても、どんな風にしたらどんな結果が出るかというのを掴むのは大切だ。けれど、たぶんもっと大切なのは、その手法を自分なりに模索して掴んでいく過程ではないか、と思う。ハウトゥー本で最短距離を走ってしまえば、人生の<暗中模索力>は得られない。
彼女の作品は、作風を変えるという勇気と<暗中模索力>の上に存在しているのだなぁと狭いギャラリーを見回したのだった。
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