僕はこのコーナーを書く時、なるだけ他の人がなかなか気付かない、もしくは言い出しにくいような、日常に潜んだ凶器(変換間違いちゃうで)を取り上げたいと思っている。誰でも気付くようなことは何処かで誰かが書いているだろうから、僕がわざわざ書くこともないだろう。だから、大きなニュースがあったとしても、そのニュースの本質とは直接関係ない部分について書くことが多い。
と前置きをしておいて、奈良の女子児童殺害事件の容疑者が昨日逮捕された時に気になったことを書きたい。
この事件の本質とは全然関係ないけど、こういう事件が起きた時の報道に触れて、必ずと言っていいほど僕が感じることをやはり今回も感じたので書くことにした。
容疑者が逮捕された後、報道各局は必ず近所の人たちに容疑者がどんな人物だったかインタビューする。
僕は本当はそれもどうかと思っている。
犯罪そのもの以外のプライバシーの部分はやはり保護されるべきだと僕はしつこく思っているから。
でも、今回はそういう大括りの問題ではない。
容疑者が通っていたコンビニの店員がインタビューに答えて放った言葉が冒頭の台詞。
はっきり言うけど、これは明らかに100%差別発言だ。
そう感じない鈍感な人間がこれを堂々と放送しているのだ。
もしくは犯罪者に対してはどんな差別的な言葉を浴びせても構わないと思っている積極的な差別主義者だ。
これを例えば自分自身に当てはめたら、僕は「毎日麦茶しか買わへん気持ち悪い人」になる。
けれど、僕は犯罪を犯していないからたまたまそういう風に口に出して言われないだけであって、彼は犯罪を犯したからそんな差別的発言をされる。
この発言と彼の犯した犯罪は本質的になんの関係もないのだから、そんなこと言われる筋合いはない。
これがもし「被差別部落出身の気持ち悪い人」という発言だったら大問題になるのが、「唐揚げしか買わへん気持ち悪い人」だと問題にならないということこそ問題だと僕は思う。
これが日常の凶器だ。
スケープゴートを作り上げる精神構造なのだ。
一度矢を射られた羊に、またみんなが寄ってたかって矢を射っているのだ。
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